かたり・三味線教授いたします。
稽古場:千年文庫 八王子市戸吹町332-6
問い合わせ先 wata8tayu@gmail.com
お気軽にお問い合わせ下さい。出稽古可。

人権芸術教室 都立南葛飾高校定時制

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高等学校の人権教育に参加させていただくのは初めてでしたが、確かな手応えをいただきました。演目は「十五円五十銭」。最初は、ガサガサしてましたが、そのうちシーンとなりましたね。しめしめという感じでした。姜信子翻案の台本には、「十五円五十銭」が繰り返し、呪文のように出てくるわけですが、これはもう虐殺された朝鮮人の「声」であるわけです。そうして、はじめにお断りしましたように、その死者達の「声」達が蘇ってきたのでした。子供達の感想文より

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ちゃんと「声」がとどきました。この子達は大丈夫です。ありがとうございました。

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新しいクニ造り

今日、この言葉に出会った。
『天の監督を仰がざれば、凡人墜落。国民監督を怠れば、治者盗を為す。』
『真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を荒らさず、人を殺さざるべし』
どちらも、田中正造翁の言葉。
昨年、足尾で手に入れてきた。桜石を手にして、つくづく、この「国」は野蛮だと思う。そこで、この「桜石」を握りしめて、新しいクニを創る。3月16日は大岡山で。3月30日は西荻窪で、新しいクニ造りが始まる。それは、ペクス(白手)という新しいクニだ。しすぎないことの哲学と実践。日本語で言えば「ものぐさ太郎」・・・熊本方言・・・「ふゆじどん」・・・しないことは、しすぎるよりはるかに幸いである。

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虔十公園林

不得意だった宮沢賢治が、だんだん、少しずつわかってきた。賢治の山伏的側面にとっかかりを見つけて、まず「原体剣舞連」に取り組んだのが1月のことだった。2月は、山尾三省の「野の道ー宮沢賢治という夢を歩くー」という本が、実にすばらしい先達を務めてくれた。そこで、その本の最後の方、「野の道 三」に出てくる「虔十公園林」に取り組んでみることにした。実は、この物語には、以前から出会ってはいたのだが、とても手に負えなかったのである。

 『あるいは、人は、虔十が少し足りないからこそそれが出来たと言うかもしれない。

  それならば私達は、虔十に見習って少し足りなくなるよりほかはない。』(野の道より)

春と修羅」の修羅は、賢治の近代化との戦いなのである。

 『実際私達は、少し足り過ぎて核兵器を産み出し、原子力発電を発案して、人生を

  恐怖と不安で貧しくしていまっているのだから、足りないことを学習する方がむ

  しろ緊急のことですらあるのだ。』(野の道より)

 

虔十・・・けんじゅう・・・は、けんじー・・・賢治その人だったのだ。空を見上げて笑っているのは、賢治だったんだあと気がついたら、すっきりと節がうかんだ。この先は、少したりないことを目指そう。はあ、はあ、はあ・・・つつし(虔)みぶかく、十力の顕現をよろこぶ・・・すなわち虔十。

youtu.be

※お知らせ:サンプル音声を3月2日に差し替えました。

さまよい安寿 声のアナキズム in フェリス女学院大学

はじめて、横浜のフェリス女学院大学にお邪魔しました。姜信子講師による「声」の

話し。渋滞に巻き込まれ、到着が遅れて申し訳ありませんでした。どたばた、たじたじで始まりましたが、お集まりの皆様のまなざしに助けられ、生き生きとした「場」が出現したように思います。

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ちょっと短い松坂祭文「葛の葉」と、山椒太夫「舟別れ・宇和竹恨み」の段を聴いていただきました。研究会よりも懇親会の方がおもしろかったかも・・・

 

 

第4回 旅するカタリ in  忘日舎

神が降臨する聖なる古書店に、また異空間が出現する・・・でしょう。その名も「忘日舎」

次回は、3月30日(土)18:00より、お待ちしております。

今回は、「野生」がテーマになっていますが、これは、これからの「カタリ」が赴く方向を暗示するものです。この「野生」とは、イコール「アニミズム」、イコール「アナキズム」なのです。一般社会では認められなかった私の「野生」が火を噴きます。・・・?それは単なる「野獣」か?

 石牟礼道子作、『苦海浄土 第2部 神々の村』より、不知火浄瑠璃(ジョロリ)公開第3作目「ふゆじどん」乞うご期待。

まあ、それはさておき、ゲストは、この頃野生化した「谷川ゆに」さん。谷川健一先生の姪っ子にいったい何が起こったのか?

著書『「あの世と」と「この世」のあいだ たましいのふるさとを探して』を手に、我々の旅に道連れ。皆さんも又、あの世に道連れに・・・・

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新しいカタリの場 in 奈良

奈良での活動拠点は、奈良市「富雄」という所です。寝起きができるように新たな「千年文庫」の整備に行ってきました。ただしまだ、本たちは、八王子に鎮座しております。本格的な引っ越しは夏頃になりそうです。今回は、生駒、大阪、奈良とネットワークを広げることにも力を入れてきました。奈良での新しいカタリの場を、快く提供していただけたのは「まめすず・ちちろ」というカフェです。昨年11月に慌ただしく訪問したのがきっかけでしたが、石牟礼道子さんの一周忌の祈りの場を持つことができたのは、なによりも幸いなことだったと思います。ありがとうございました。駆けつけていただいた皆々様、今後とも宜しくお願いいたします。

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花を奉る

石牟礼さんの詩で、石牟礼さんにご降臨いたただく。

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西南役伝説より「六道御前」

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苦海浄土より「ふゆじどん」(新作)

今年は、年明けから、石牟礼作品に、矢継ぎ早に節付けをしてきましたが、「ふゆじどん」(熊本方言:ものぐさな人)は、その中でも最新作です。この日の追悼の為に書いたわけではありませんでしたが、結果的には、よい追悼になった気がします。それというのも、苦海浄土の「神々の村」の神々は、「胎生水俣病」の方々をそう呼んでいるのだろうと思うし、実は、「ふゆじどん」=「杢太郎少年」=「神様」なのだと思うからです。写真は、「ばっちょ笠」と「にぎりめし」です。ひとりのふゆじどんは、背中のにぎりめしを自分で取ろうとせず、誰かが来るのを待っています。もうひとりのふゆじどんは、笠のあごひもを自分で結ばないで、結んでくれる人に逢うまで笠を落とさないように苦労して歩きます。このふたりが出会って、お互いに天の助けとなるという話し。つまり、その「ふゆじどん」が互いに神様なのだと石牟礼さんが言っておられるわけです。まあ、そう考えれば、皆お互いに「神様」になるわけです。ありがたや、ありがたや。

第3回 旅するカタリと山伏祭文 無事終了  

西荻窪、忘日舎での3回シリーズの企画が、無事終了いたしました。石牟礼道子さんの作品を中心に据えて、石牟礼ワールドの浄瑠璃化を試みる貴重な「場」を提供していただいた店主、伊藤幸太氏に改めて御礼申しあげます。毎回のお客様とも顔なじみとなり、単なる情報交換というだけでなく、「文字」と「声」にまつわる様々な体験が共有される「時間」になったように感じました。演じる側と観る側の境も、あなたと私の境も、越境しながら、各自が世界の中心に居るという存在感をそのままに、ばらばらに繋がる。ひとつのものがたりが、各自の中で、それぞれ別の世界を創る。たとえば泡宇宙論マルチバース)のように。

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「西南役伝説」は、石牟礼さんの初期の作品ですが、石牟礼さんの視点はもう「苦海浄土」と通じるものがあります。本編よりも付録的に付けられている「拾遺」に引きつけられます。拾遺一が「六道御前」。ここに、既に石牟礼さんがはっきりと「浄瑠璃」を意識して書いておられることがよくわかります。「それでは、じょろり浄瑠璃)ば、かたりましょう」というのは、六道御前の言葉というよりは、石牟礼さんの言葉として憑依します。

 ちなみに拾遺二は、「草文」です。「あやとりの記」にでてくる「犬の仔せっちゃん」のモデルになった話しだろうと思います。この物語も、そのうち聴いていただけることと思います。

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姜信子の「アナキスト宣言」は、「ずずかん」という雨乞いから始まります。この「ずずかん」は、「椿の海の記」に出てくる天草の雨乞いのことです。バックの映像は柏崎の龍神様です。お客さんの中に、この「ずずかん」をやったら、肩に憑いてたものが落ちて軽くなったと喜んでおられる方がいらっしゃいました。憑きものも流して清めていただける有り難い龍神様でした。「千年かけて清め奉る」

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さて、「アナキスト宣言」は、さいごに、「さあ、くるっちまえよ」と呼びかけます。それは多分、「あんた、正常バイアスかかってんじゃない?」と言っているのだと思います。あなた、大丈夫?それでいいの?・・・語ってる自分に・・・つきつけられる「宣言」。