かたり・三味線教授いたします。
稽古場:千年文庫 八王子市戸吹町332-6
問い合わせ先 wata8tayu@gmail.com
お気軽にお問い合わせ下さい。出稽古可。

9月は九州にうかがいます。

福岡県の福智町立図書館は「ふくちのち」というのだそうです。なんのことかと思いましたら、「知」と「地」を掛けての命名のようです。大変意味深い事だと感心しました。昨年に引き続き、熊本~久留米と巡業させていただいて、今年は又新しい「地」でかたることができそうです。今年6月に東京から北九州に戻られた山福朱実さんと末森樹君との共演が楽しみです。石牟礼道子作「水はみどろの宮」を、お楽しみ下さい。

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祭文かたり、熊野を目指す

説経かたりや山伏は当然、熊野への道を歩いたことだろう。私も、なんちゃってな事ばかりしていないで、ちゃんと修行を積まねばいかんというわけで、大阪公演を機会にして、熊野古道へチャレンジすることにした。

その昔、京都からは淀川を船便で下り、大阪天満橋近くの八軒屋浜に上陸したので、熊野への道はここから始まる。第一王子「窪津王子」跡の碑を探して、熊野古道探険を開始。と言いましても、当分、車での移動。これを歩いた昔の人は、本当に凄い。

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四天王寺の熊野遙拝所へ。

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なんであれ四天王寺は、説経の聖地。何度お参りしても新しい発見があります。東門の方で役行者様に出合ってびっくり。さすがは、四天王寺です。

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さて、その後、堀越神社、安倍王子、安倍清明神社、住吉大社、境王子、大鳥神社、篠田王子、平松王子と、大阪府内の熊野街道(小栗街道とか安倍の道とも)を駆け足で見てまわり、それから和歌山県御坊市に飛びました。日高川入相花王の舞台、日高川の天田堤。現在も「天田橋」が河口近くに架かっています。この川を清姫は渡ったのかあ・・・

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2日目は、なんと台風。嵐の道成寺に我々の外に人影も無く。安珍清姫の絵解きは貸し切りで得もしたのですが・・・(嵐の安珍塚)

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昼過ぎ、もう道成寺の周辺の道路は冠水していました。慌てて脱出して、田辺市方面へ。しかし、これは避難になっていない気がする。和歌山県の各所に次々と避難勧告が出されて行く中、中辺路へ突入。清姫の家があった「真砂」へ。清姫の墓へ参る。・・・これこそ清姫の涙の雨か・・・傘も壊れてびしょびしょに。

清姫堂)

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ようやく辿り着いた熊野湯の峰。一番のお目当ての「つぼ湯」は大変なことに

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入るどころじゃありません。水没していました・・・絶句・・・

まあしかし、宿の温泉を満喫して、十分に蘇った気分になりました。

三日目は台風一過の晴天。またまた、駆け足で、熊野本宮~花窟神社~速玉神社~那智大社紀伊の国をぐるっと一周。巨石達を堪能。

四日目こそ、いよいよ熊野古道を歩く。中辺路の中程、「小広峠」から「熊野本宮」まで8時間。思っていた以上に苦行でした。

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ゴールは熊野本宮大斎原の大鳥居

二十年ぐらい前に、ここを訪れた時は、伏し拝み王子で涙が出た。様々な霊が寄って来るような、もっと独特の雰囲気があったはずだが、残念ながら、今回の旅では、あまり感じられなかった。何故だろうか・・・熊野は古道では無く新道になったか?

さて、ちょっと奈良県側に越えると「十津川村」という村がある。実はこの村の知人宅にお世話になったのだが、驚いたことがある。「西川盆踊り」の稽古を見させていただいたのだが、その唄というのが、「ラッパ節」「ストトン節」「磯節」といったお座敷唄ばかりなのだ。こんな山の中にお茶屋があったのかと聞いたら、そうでは無いという。そうでは無いが、この村は相当のお大尽が沢山居たという。流石は紀ノ國(木の国)である。材木を筏に組んで、十津川から熊野川へと流して、新宮で遊んで帰って来る。そんな紀伊國屋がごろごろ居たのだという。この国はスケールが違うと思った。

 

 

説経祭文が難波にデビュー

江戸生まれの「説経祭文」は、名古屋に伝わって甚目寺の「源氏説教節」になりました。その系統が広島にまで伝わって、「眺楽座」になりましたが、いったい大阪で、「説経祭文」が演じられたことがあるのかどうかは不明です。ひょっとして・・・前代未聞のことであったのかも。

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いちばんうけたのは、デロレン祭文だったかもしれません。

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説経祭文山椒太夫骨拾い段

解説・絵解き:姜信子 (作画:山口愛

三味線弾き語り:渡部八太夫 

笛・太鼓:花井光雄

ミュージックソー:太田テジョン

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即興チンドンばんど「THEチンドン祭文」(本邦初公開)

左から 銅鑼・太鼓:姜信子 三味線・唄:八太夫 

    二胡:太田テジョン 笛:花井光雄

    ひょうたん(波音)深田純子

「ちんどんショー」と題した中身は、お座敷遊び唄の連発。「ストトン節」「チンライ節」その外。写真は、お別れの曲「海上節」

この会場は、大阪市西成区通天閣のすぐそばという大阪らしい街でした。近くに猫塚があり、お参りして来ました。

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お陰様で、無事に勤めさせて戴きました。ありがとうございます。

今回の企画に当たっては、アムシーミュージックオフィスの稲本直氏にご尽力いただきました。さらに翌日には、和歌山県紀の川市にまで御案内いただき、下鞆渕という村で新しい出合いを作っていただきました。返す返すも御礼申しあげます。大阪、和歌山の皆さん、今後とも宜しくお願いいたします。

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 ケセランぱさらん+八太夫 憧れのちんどんに参加できたのも大きな収穫でした。

(呼び込み風景)

八太夫会 第2回 浴衣復習い

千年文庫「歌い語りの会」としては4回目。八太夫会の浴衣会としては昨年来の2回目の開催となりました。新年の弾初会から半年で、また発表会というのは、やりはじめると案外に忙しいものです。今回は、こぢんまりと、お二人のお客様を迎えての内輪のお楽しみ会という風情になりました。そのかわり、どの曲もフルでたっぷりやりましたので、聞く方も大変だったかもしれませんね。

今回は7名の参加者、ここの広さでは、これぐらいが丁度かも・・・

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長唄 風流花見踊 立:姜八景  連:久保嶋奈美 唄 八太夫

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長唄 吉原雀 三味線 石橋迪子 唄 八太夫

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説経祭文 日高川入相桜 語り 崎村良子 三味線 八太夫

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説経祭文 小栗判官・照手姫 鬼鹿毛曲馬段 弾き語り 八太夫

(鬼鹿毛がぶるるるると唸っている所です)

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ご祝儀 松の緑 合奏

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皆さん、良く頑張りました。さあ、今年の夏は長そうですが、これで、八太夫会は暑気払い。しかし、秋になるまで体力がもつのか心配です。皆様も御自愛下さい。暑中御見舞申しあげます。

 

 

 

 

 

舞台裏から眺めると

「奈々福がたずねる語り芸パースペクティブ」番外編では裏方を務めた。裏から舞台を観ていると、又ちがったものが見えてくるようだ。

ちょうど、このところ手にしていた本が、「神々の明治維新」(岩波新書103)。明治政府の強引な思想統制に、仕方の無いむかっ腹を立てていた所だった。国家神道の強制。山伏修験は禁止である。県によっては瞽女も禁止されたというから、山伏による説経祭文などは、当然に弾圧をうけたに違い無い。

一方、「西便制」(風の丘を越えて/ソピョンジェ)。私の仕事は、案内人姜信子の話しに合わせて、この映画のほんの一部分を映すことだった。パンソリ奏者の親子がアリラン峠を越えて行く。国は違うが、近代化の中で居所を失って行くパンソリは、説経祭文ともダブって見えてくる。

現在、パンソリは、韓国の伝統芸能として確固たる地位を獲得しているということで何よりだ。演者は何千人単位で居て、各大学では国楽としてパンソリを扱うという。日本では、国家による啓蒙的抑圧によって、説経祭文等の芸能が低俗なものとみなされて以来、道端の芸能はあまり顧みられないのが現状だ。近代国家の暴力の傷は未だ癒えていない。いや、ひどくなる一方なのかもしれない。しかし、自分的には、だからこそ益々説経祭文がいいということになりそうだ。

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玉川奈々福 浪曲 陸奥間違え

浪曲は、説経祭文の兄弟分とはいえ、やはり時代が違うのだとはっきり感じる。つまり、発生の土壌が既に近代なのだから、匂いが違うのだろうな。創り出そうとする世界自体が違う。

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パンソリ 水宮歌(スグンガ)

安聖民(アン ソンミン) 鼓手 李昌燮(リ チャンソプ)

パンソリは、朝鮮の古典。水宮歌は、病気になった竜王が薬の「肝」を探す話しだが、大変コミカル。パンソリは、泣きだけでなく必ず、笑いがある。国民性だろうか。私の説経祭文にも、どうにか取り入れていきたいものだ。課題である。それにしても、鼓手(コス)のチャンソプがいつもカッコイイ。

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「かもめ組」三姉妹の鼎談。語り物の趨勢を軽妙に展開。これが結構人気の秘密。

 

説経祭文とちんどんが競演

もう5月のはなしですが、「ケセランぱさらん」の深田純子氏が、お仕事で上京された時に、わざわざ八王子まで足を運んでいただきました。千年文庫の祭壇に祀られている「ナミイ」のお引き合わせです。「説経祭文」が一体何なのかを聴いていただいたわけです。その秘密会議の結実が、また新しい出合いと連鎖を紡いでくれることを期待いたしましょう。8月は、大阪から、粉河寺、日高川、熊野近辺に、旅する祭文語りが出没します。ご注意を。f:id:wata8tayu:20170704110326j:plain

 

 

語り芸パースペクティブ 第3回目 瞽女・祭文

玉川奈々福がたずねる「語り芸パースペクティブ」全11回+番外1の、1回目・2回目は客として、3回目は光栄にも演者として参加させていただきました。素晴らしい企画をありがとうございました。第3回は「説経祭文+瞽女唄」という内容でした。瞽女唄は、萱森直子さんが、祭文松坂「葛の葉子別れ」を読まれましたので、結局、「祭文×祭文」だったのかもしれません。私は「小栗判官」の鬼鹿毛「曲馬の段」をやりました。「祭文」ですから薩摩若太夫正本です。但し、例によって、作家姜信子による演出が入って、面白くなっています。なにしろ、奈々福さんの会で、面白く無かったと言われては申し分けがないので、節の手もいつもより派手。この一週間、大変真面目に稽古もし、気合いも十分でしたが、気負い過ぎたのか、前日は眠れませんでした。

 鬼鹿毛「曲馬の段」は初演でした。「説経」は、本来泣き節ですが、「説経祭文」にはチャリ場があります。しかし、これが難しい。人を泣かせるのは結構できるものですが、笑わすというのは難しい。その上、多分その当時は、それで笑えたのかもしれないが、現代に通用するとは限らない。これまでは、正本通りにやっても、なかなか面白いというものにならなかったのでした。

 今回の狙いは、ズバリ笑える「祭文」だったのですが、どうだったでしょうか。まだまだ、練らなければなりませんが、手応えはいただきました。沢山の励ましのお言葉、ありがとうございました。これからも、新しいチャレンジをして行きたいと思っています。

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瞽女唄:葛の葉子別れ 萱森直子

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説経祭文:小栗判官 曲馬の段 渡部八太夫

「ひぇえええ、小栗が鬼鹿毛に乗ってやって参ります。」

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後半の鼎談:玉川奈々福 八太夫 萱森直子

撮影:田島利枝

萱森さんの師匠、小林ハルさんの話しがとてもよかったです。私は語りに関する師匠はいませんでしたので、羨ましいかぎり。私はといえば、いろいろ考えてはいましたが、うまくしゃべれませんでした。ただ、今回お伝えしたかった事は、「説経祭文」は「説経浄瑠璃」ではなくて、やはり「説経祭文」と言う方が説明しやすく、理にかなっていて、その出自も含めて、より理解しやすいのではないかということです。「説経」は仏の教え、「祭文」は神を言祝ぐ、合わせて「説経祭文」。正に神仏習合なのですが、その寺からも神社からも抜け落ちた、隙間に存在している。そのあたりを、今度はもう少しうまくお話出来るようにしてみたいものです。

 と、ここまで書いて、ようやく思い至りました。話したかった事は、説経のこれまでではなく、色々に派生した説経の系統の中で、自分が選んだのは「説経祭文」で、その「説経祭文」の持つ背景世界を共有して、新しい「説経祭文」の世界を切り開いて行きたいということだったようです。