稽古場:ゆやんたん文庫 奈良市敷島町
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祭文かたり IN 済州島

ソルムンデハルマンという他国の神話に出合ってから、たった一年やそこいらで、その国の土を踏んで、その土地を生み出した母なる神の物語をかたることになるとは思ってもみなかった。噛み合うべき歯車が、ガッチャンコとシフトして、違う組み合わせが回転している。そんなチェジュの四日間だった。ところが、そうなったのは、自然の成り行きでも、神のご加護でもなかった。そもそも、ソルムンデハルマン祝祭に参加するはずもない日本人がこの祭りに参加できたのは、ソウル在住の詩人のクォン・デウン氏や特に現地の詩人ホ・ヨンソン氏などが、「済州 石の文化公園」のペク・ウンチョル園長に強力に推薦してくれたからだと後から聞いた。実に有り難い話なのである。

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石の文化公園園長のペク・ウンチョル氏と(左から二人目)

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済州島の母、ソルムンデハルマンの像(石の文化公園)

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ソルムンデハルマンの子供、五百将軍達(石の文化公園)

この巨石を島中から、自力で集めてきた人が、園長のペク・ウンチョル氏であるので、園長は五百一人目の息子。その園長が、「ソルムンデハルマンが呼んだ一人目の日本人だ。」と仰ってくれたので、私は自称「五百二人目」の息子と思う事にした。これからは、ソルムンデハルマンの五百二人目の息子として語ることにしよう。

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字幕は新潟大学の藤石先生にお世話になりました。ありがとうございました。

 韓国自体、初めてでした。済州島ということもあり、反日的なことも覚悟はしていましたが、みなさんいい人ばかりでした。ハルラ山をガイドしていただいたペンションオーナーの呉(オ)さんにも大変お世話になりました。わくわくと楽しい四日間でした。そしてまた、何か、違う歯車がゴロゴロと動き出しそうな予感が・・・

 

 

一橋大学 韓国学研究センター設立記念国際シンポジウム

一橋大学イ・ヨンスク先生が新たに設立された「一橋大学大学院言語社会研究科韓国学研究センター」のセンター長に就任された。誠にお目出度う御座います。その記念式典の第2部では、韓国の伝統音楽が披露された。

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宮中舞踊「春鶯囀」 安留奈(アン・ユナ)

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「短い散調」 琴 姜貞烈(カン・ジョンリョル) 安留奈

       鼓手 李相鎬(イ・サンホ)

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「四節歌」 歌 裴平舜(ベ・ピョンスン) 鼓手 李相鎬

韓国の芸能者の発声法には、いつも感心させられる。「芯」が必ずある。そしてやはり「端雑音」が感じられる。歌や語りは勿論のことであるが、実は鼓手の合いの手の「枯れ」具合に一番しびれる。

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そんな中に、何故か・・・祭文八太夫が登場・・・これは、あくまでもセンター長のイ・ヨンスク先生からの御依頼でありまして、お祝いをさせていただきました・・・が、あまりの韓国伝統の音楽に感激・圧倒されて・・・たじたじというかんじでした。

とにもかくにも、韓国学センターの御発展を御祈念申しあげます。

 

 

済州島 ソルムンデハルマン祭 

済州島では、5月1日から「ソルムンデハルマンフェスティバル」が始まった。式典の中心は、5月15日に取り行われる祭祀である。ソルムンデハルマンは、チェジュ島のまさに生みの母である。そして、五百人の息子達は、五百将軍の岩となった。会場の「石の文化公園」には、園長の白雲哲(ペク・ウンチョル)氏が島中から集めた巨石が並べられている。

 その祭典の夜の音楽祭に、参加することになった。姜信子氏の「愛のはじまり」、ソルムンデハルマンの物語を語らなければならない。本家本元の済州島で、片言の韓国語をちょっとだけ入れて語る。

 むう、韓国語は難しいし・・・ハードル高い・・・

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姜信子著「平成山椒太夫」出版記念会

一昨年、新潟日報に連載された姜信子氏の「平成山椒太夫」(挿絵:屋敷妙子)が、昨年末に本になった。この著作、それ自体が妙なものであるが、この現代的語りがもっと妙なのは、次々と人を巻き込んでいく習性があるようなのである。注意が必要である。

新潟日報の森澤氏、舞踊家堀川氏、NSTの山田氏、が実行委員となり、「妖しい春の大宴会」というサブタイトル。森澤氏と雑談をしたときに、冗談で寿々木米若の「佐渡情話」を口ずさんだのが失敗で、会場が「大佐渡たむら」(沼垂)ということもあって、「佐渡情話」をやるはめになってしまった。

さて、そもそも、浪曲は三味線が特殊なので、仮にコピーできたとしても、弾き語りは至難の業。1967年(昭和42年)収録の寿々木米若「佐渡情話」をあらためて聴いてみて、やはり愕然。「こりゃ、無理だなあ」と思いつつも、だいたいの流れが聞こえてきたので、採譜を試みる。

「むう、おかしい、変だ」いったい、浪曲というものは「三下がり」と相場は決まっているのだが、音が合わない。「これは、ひょっとして」と思い、「水調子」(低い音の調弦)の「本調子」にしてみたら音が採れる。ということは、これは佐渡の「文弥節」と同じ調弦を使っているということなので、今度は驚愕。米若は、佐渡の文弥節を分かっていて、「佐渡情話」に取り入れたのだろうか・・・

結局、浪曲の弾き語りは諦めて、ちょっと浪曲ぽい手を借りて、得意の「二上がり」調弦で「祭文浪曲佐渡情話」を仕立てることにした・・・ややこしい話しで恐縮。

以前「文弥節」採譜の時にも解説したことがあるが、一の糸を低音にして(これを水調子という)本調子の調弦をしたうえで、二の糸と三の糸しか弾かず、しかも三の糸の高音部を主に弾く奏法は、実は「二上がり」調弦で弾く事と変わりがない。

どうして、そういう調弦になったかは不明であるが、せっかく「三味線」なのに、二本の糸しか使わないのは、音の展開や指の動きから考えれば不自然な気がする。それとも昔の人は、糸を大切にしたので、長持ちさせるために水調子に張ったのだろうか・・・?

というわけでいよいよ、得体のしれないものなりましたが、この会は「妖しい」人々の集まりのようでしたから、許していただけたようです。

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説経祭文は「三庄太夫 宇和竹恨之段」

朗読:姜信子

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今回、特に声援をいただいた森澤和子様、中川絹子様、誠にありがとうございました。その外、皆さんからのおひねりに感謝感謝。

 

 

 

玉川奈々福がたずねる 語り芸パースペクティブ 第一期

4月17日(月)から始まる特別企画。浪曲玉川奈々福さんがかたりもの芸の世界を案内します。

 不肖八太夫は、第3回6月14日、「説経祭文」を担当することになりました。よろしくお願いいたします。同回の「瞽女唄」も聞き逃せません。説経祭文と瞽女唄は、いわば兄妹筋の芸能で、その後の浪曲にも影響を与えているといわれています。

 そ、それよりも第1回の「総論」第2回目の「節談説教」のインパクトがすごいですね・・・こまりましたね。

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馬喰町ART+EAT 「さまよい安寿」原画展 閉幕  

一ヶ月にわたる「さまよい安寿原画展」のエンディングのイベントでは、姜信子の「愛護若」、八太夫の「宇和竹恨」をやらせていただきました。ですが、今回一番気合いが入ったのは、「デロレン祭文」と即興「記憶の森」だったかもしれません。

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神降ろしとデロレン祭文

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節分が過ぎて立春の種を蒔く。

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「水」がテーマの「愛護の若」、姜信子の朗読にエレキ三味線でのBGMをつけてみる。エレキ三味線初挑戦は、素晴らしい音質のエレキアンプに助けられました。

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右壁の屋敷妙子画伯作品「記憶の森」を観て書いて戴いた、皆さんの記憶を集めました。①あの日私は・・・・②あの時あの人は・・・・③その時彼女(彼氏)は・・・・

ランダムに選んでもらった記憶を並べて、やりくり川柳のような詩を作りました。

「あの日、私は、東名高速走行中、突然、ハンドルを取られ、びっくり」

「あの時、あの人は、不安な私の選択に同意し、一緒について来てくれた、これからも一緒に生きて行く」

「その時、彼女は、救助隊に、『重いでしょう、すいません』と何度も言った。着の身着のままの様子で」

結句は、姜信子

『おぎおぎてぃおら えいさらえい

思い出乗せて舟が出る

西に向かえば極楽往生、東に向かえば浄瑠璃浄土

馬喰町から舟が出る

おぎおぎてぃおら えいさらえい』

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説経祭文「三庄太夫宇和竹恨段」バックは日本海。先日、新潟で撮影してきました。今日のあさりうどんも美味でした。ART+EATの皆々様、ありがとうございました。

「さまよい安寿」原画展 2月4日エンディングイベントに向けて

先日、ART+EATにお邪魔してきました。屋敷妙子画伯の大作「記憶の森」がようやく出来上がったのでした。ギャラリー現場での制作です。2011年の新潟日報の紙面を使った、ある種のコラージュではありますが、只、切り抜いて貼ったのではなく、すべての断片に自分の手を入れ、トレースし直しているという労作です。あの日の記憶から、私たちは何を思いだすのでしょうか。

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この「記憶の森」は、宇宙に向けられた巨大なパラボラアンテナのようにも見えますし、水滴の王冠のようにも見え、説経にでてくるウツボ舟にも思えますが、最後には、あの映画「未知との遭遇」に出て来るデビルズタワーに見えてきました。

 この作品の未知なるエネルギーのおかげで、エンディングイベントの打ち合わせでは、次から次へと、科学反応的な連鎖反応が発生し、斬新なイベントが計画されました。2月4日(土)をお楽しみに。

 さて、その上、帰りがけの電車のなかで、ある決意を・・・よしやってみるか・・・

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の結果がこれ。屋敷妙子画伯作品のお気に入りを三味線の面に貼り付けました。(反転させましたが)題して、繭小僧三味線。なおさら妖し感じです。

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エレキ三味線自体は、2月4日に演奏する「愛護の若」用にと、工作中だったものです。破れ三味線の面を剥がして、板を張りました。いわゆる「ゴッタン」にして、マイク付の駒を立てただけです。最近はヤフオクで破れ三味線が二束三文で手に入るので、こうした工夫がしやすくなりました。昔は、びくびくしながらいじったものでしたが。また、ちょっと違う世界へ。2月4日、まだ空席あります。おはやめにART+EATまで、イベント詳細は以下をご覧下さい。

www.art-eat.com