稽古場:ゆやんたん文庫 奈良市敷島町
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旅するカタリ 山伏祭文と文学と  第2回目

西荻窪「忘日舎」での企画第2弾のお知らせです。石牟礼道子氏の世界「苦海浄土」・・・大作ですからおいそれとはいきませんが、ここに描かれた神々を、山伏祭文によって、少しずつ立ち上がらせていきたいと考えています。

「第一部苦海浄土第4章天の魚(イオ)九竜権現さま」に描かれている江津野杢太郎少年と爺様。私の中に衝撃的に刻まれた最初の水俣の神様を語る予定です。予定ですというのは、これからどんな神々様が訪れるか、わからないからです。その日、その時に、違う神様が降りてこられるかも・・・ 

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また、「百合若大臣異聞」は、まだ姿も形もありません。だんだん、その時にならないとわからないという、そんなライブになりつつあります。いわば、蔵出し新作発表会の様相。

旅するカタリ 山伏祭文と文学と 「現代説経集」出版記念公演

西荻窪駅近く、知る人ぞ知る本屋さん、「忘日舎」。定員は多くても12名と小さい会場ですが、店主の好みで偏った本が、ぎっしりと並ぶその空間は、我々のような異端でマイナーな者どもには、最適な空間です。そうして、お集まりいただいた奇特な皆々様方と時間を共有できたことは、なによりもって仕合わせなことだと感激する次第です。

第一部 石牟礼道子作 「水はみどろの宮」

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昨年の熊本探索の様子を紹介。実地踏査で発見した「穿の洞」の写真を提示して、「水はみどろの宮」に登場してくる実在ポイントを紹介しました。

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なんで、撥をを持った手を振り上げているかといえば、皆さんで声を上げて、お清めしているからです。「六根清浄、六根清浄」と唱える場面。だんだん新興宗教みたいに・・・

 

第二部 愛護の若 姜信子作「現代説経集」より

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おどろどろしい。延々と循環しつづける「水」が重要。今回は、ピックアップマイクを仕込んでエレキにしてみました。エフェクターの使い方にも慣れて、まずまずの水音が実現しました。

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シルエットになってしまっていますが、左側、姜信子が立ち上がって、「さあ、さあ、さあ、目覚めろ」と、皆さんに、命の問いを突きつけます・・・あまりの恐ろしさに、みんな絶句する。

キャンセル待ちでご来場いただけなかった方々、大変申し訳ありませんでした。「忘日舎」での催しは、次回8月4日(土)に予定しております。内容はまだ未定ですが、お早めに「忘日舎」03-3396-8673まで。(電話番号が間違っておりました。お詫びをして修正いたします。)

 

渦41、波高し

やっぱり、今回もまた苦い思いを噛み締める「渦」でありました。芸の道は、一目瞭然でありますから、仕方のないことでありますが、特に本日の「伝渦」のメンツの恐ろしいことといったらありません。どうして、この日に、並ばされるのか・・・やばいと思っておりましたが、本当に肝つぶされました。皆さん、面白すぎて、久しぶりに、本当に笑いました。それで、もう、自分の芸どころではなくなってしまったわけです。

バロンさんのウクレレとタップダンス。それにうっとりしていると、ヘルシー松田さんがパントマイム。風船が押しても引いても動かない。はあ、見事。

浪曲が私の前。あーあ・・・奈々福さんと美舟さんでばっさりと「百人一首」を語って、よっ、名調子。その後に、たじたじと、八太夫が、せいぜい法螺ふくしかありませんが、微力ながら「小栗判官」を勤めますが、

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太刀打ちならず・・・その上、活動弁士坂本頼光さんの、抱腹絶倒アニメ「さざざさん」・・・あああ、「伝渦」は、これだけでもよかったかも。出演したというより、笑いにいったという一日。ありがとうございました。またまた、勉強させていただきました。

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ピンチヒッター背番号8番 渡部八太夫

自分の舞台は、死んだとき以外は、絶対に穴をあけない。と誓っている。私の芸道がその穴からのスタートだったからだ。そして、人の空けた穴は、率先して埋める。これが、案外に芸の足しになる。なぜなら、多分、その穴は、既存のものでは、なかなか埋まらないからだ。なにがしかの工夫が必要となる。否応なしに、必要は発明の母とか。

 この頃、書き留めておいた、石牟礼道子さんの「苦海浄土」の一節や、アルテリに掲載されていた彼女の詩「夕焼」に感動して、節付けしておいたのものが、期せずして役に立った。控えの選手がいきなり起用されるようなかんじ。そして、改曲しておいた谺雄二氏の「死ぬふりだけでやめとけや」、なんとなく予感がしていて、いじっておいた。

 しかし、それらの作品が、どうして、一コマ受業に必要なのだろうと不思議だった。これらの作品が、私の身の回りに登場してきたのは、この4年間のことで、それ以前は、なんにも知らなかった私であるから、駆り出された大学の教室で、学生たちの無反応さを見ても驚くには値しない。私も、ちょっと前までは、そっち側だ。

 一見、無関係に思える作品が、「植民地」という体制を通して見事に、明らかにつながっていく。それが、特別講師「姜信子」の手腕。題して、特別講義「われら植民地の民と近代」、これもまた、穴故の産物。めでたし、めでたし。

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一橋大学 イ・ヨンスク先生(右)と、特別講師姜信子(左)

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写真は、水俣の半永一光氏。「苦海浄土」より「九竜権現さま」を語る。

姜 信子『現代説経集』(ぷねうま舎)刊行記念イベント「旅するカタリ」

 何が、どうなるかは、その時にならないと、分かりません。確かなことは、何かアナーキーな企てが始まるということだけです。何が、降りてくるのかは、私たちにも・・・

6月2日、西荻窪に妖しい空気が漂う。

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現代説経集 姜信子

今月、4月の下旬には、ぷねうま舎から、姜信子の著作が出版される。

 

「現代説経集」

 

日本は、明治以降、ずっとへんてこりんな狂った世界だ。江戸時代より以前が、諸手を挙げてとっても良い世界だったと思っているわけではないが、どっちが人間的に暮らせたのだろうかと思う。明治政府ご登場以降にでっち上げられてきたことどもが、150年たって腐敗臭にまみれている。今、説経という語りに力があるとすれば、権力に隠蔽されてしまったものを掘り起こし、都合の悪い事を顕わにできるだろう。今の世の中、変すぎるんじゃないですかと。これもですか。あれもですか。私ら、すっかり騙されておりました。説経語りより、騙りがお上手です。

 

そんなことは、ついこの間まで、考えてもみなかった。遠い昔に亡びた芸能になにができようか。私にできることは、せいぜい、干からびてミイラ化してしまった説経の骸骨をカタカタと動かして見せることぐらいだろう。そうすれば、現代人も少しは驚くだろうぐらいなことだ。

 

踊り念仏。世直し。ええじゃないか。

今は、昔・・・だが

その昔は、今の世の中、変・・・だったわけだ。

 

どうも、説経祭文がたりが、ひと働き、せねばならんかな。

そんな風に、仕向けるあぶない本。

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絵:坂本大三郎