石牟礼道子さんが亡くなってもう1年。しかし、亡くなった気がしません。声が残っているからでしょう。その声をじょろり(浄瑠璃)にして語るのが、なによりの供養だと思っています。
2月10日の命日の前夜、2月9日(土)奈良市の「お菓子屋&ブックカフェ まめすず・ちちろ」さんにて
稽古場:ゆやんたん文庫 奈良市敷島町
問い合わせ先 wata8tayu@gmail.com
世のご多分にもれず、平成最後のお弾き初め会です。期せずしてその年が、還暦の歳に当たりはしましたが、前々から、この折り返しに、最終ラウンドをもう一度、仕切り直そうと考えておりました。そういう思いの反映なのか、いろいろな事柄や身辺が、この年に結節を結ぶように、変化してきたようです。
というわけで、本日の臨時ニュース。八太夫会の八王子稽古所/千年文庫は、本年の8月末に閉鎖することになりました。平成とともに去りぬ。移転先は、奈良です。
なんで、奈良?
まあ、当然いろいろな理由があるわけですが、一番大きいのは、ここに居る必要がなくなってしまったということです。どうやら土地の呪縛からは解放されたようです。
どうして奈良?
の答えにはなりませんが、新しいラウンドを・・・(若い頃は、あまり好きではなかった・・・)関西で暮らすことに決めました。
数少ない会員の皆さんには、突然の発表で、ショックとなったようで済みませんが、会は、解散するわけではありません。今後も稽古を続けてまいりましょう。
さて、以下、戸吹稽古場並びに平成最後の弾き初めの様子。長唄を三曲。語り物を四曲と長々やりましたが、どれも熱演でした。個性丸出し、というのが当会のよいところです。
さて、来週の土曜日26日は、西荻窪の忘日舎でのカタリの会ですが、既に満員御礼でございます。ありがとうございます。お気を付けてお運びください。
宮沢賢治・・・実は、あんまり得意でない。どれもよくわからん。ぴんともこない。昔ははっきりいって嫌い。今でも好きではない。国語教材で出てきた賢治作品は読んで終わりにした。子供達には、ごめんなさいです。この歳になって初めて手にした「春と修羅」の中で知っていたのは有名な「永訣の朝」だけだったが、妙にひっかっかってきたのは「原体剣舞連」だった。鬼剣舞自体も直にはまだ見たことはないが、この詩からは、その姿が映像のように浮かびあがってきた。これなら、節がつくかなあ。
さて、どんな節が可能かな。でもしょっぱなから???、
dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah ????
ってなによ。
だいたい、宮沢賢治の詩には、ペダンティックな横文字やカタカナが出てきていらいらする。こんなの読めないじゃない。ああ、めんどくさいと、くじけていると・・・
「ああ、それは、多分、ダダスコダダって太鼓の音だよ」
と、教えていただいたのは、猿八座の八郎兵衛お師匠様であります。さすが、早稲田の演劇科です。
その助言に励まされて、なんとか、宮沢賢治シリーズ第一弾。山伏祭文「原体剣舞連」。宮沢賢治は、山伏関連だから必修科目と言われて・・・やってみました。
昨年12月に、正月用の「トック」を買いに新大久保の韓国広場に出かけた。その時、立ち寄った「高麗博物館」で出会ったのが、壺井繁治氏による詩「十五円五十銭」だった。関東大震災の時に起こった朝鮮人虐殺事件は、折口信夫氏の「すなけぶり」で知ってはいたが、それにくらべると長編である「十五円五十銭」は、語りに仕立てることができるかもしれないと感じてコピーをいただいてきた。
しかし、これがなかなかうまくいかない。そうこうしているうち、12月25日の獄友イノセンスのクリスマスコンサートに出かけたが、ここで、改めて中川五郎氏の「千歳烏山ブルース」(?題名が違うかもしれません)に遭遇。同じく、朝鮮人虐殺の歌である。ビデオでは見ていたのだが、やっぱり生の衝撃は強烈。これに触発されて、というか、ぶったたかれて、大晦日から歳越しで、「十五円五十銭」に取りくんだ。
十五円五十銭 壺井繁治原作 1947年
渡部八太夫 編 平成30年12月31日
節付 平成31年1月2日
姜信子 補綴 平成31年1月2日
《二上り》
1913年9月1日 正午2分前の一瞬
地球の一部分が激しく身震いをした
関東一帯を揺すぶる大地震
この災いを誰が予知したであろう
この呪文を誰が最初に唱えたのだろう
♪十五円五十銭♪十五円五十銭
その日、9月1日の明け方、ものすごい豪雨だったのだ
すべての人々が、眠り惚けている中を
その眠りさえも押し流そうとする程の勢いだ
僕は夜中から朝にかけて、詩を書き続けた
雨は一瞬の休みも無く降り続いた
♪すべての物音を掻き消して、全世界を支配するかの様に
♪十五円五十銭♪十五円五十銭
豪雨の中を、上野動物園のライオンの遠吠えが切れ切れに聞こえてきた
今にして思えば、その野獣は、地震計よりも正確に
その鋭い感覚によって、既に、あの地震を予知していたのかもしれない
僕はそれとは知らず、ひとり詩を書き続け
人々が目を醒まし始めた頃
♪僕はやっと眠りについた
♪十五円五十銭♪十五円五十銭
前後不覚の深い眠りから、僕を揺り起こしたのは、あの地震だった
僕が目を醒ました時、既に部屋の壁は音を立てながら崩れ落ち
如何ともし難い力をもって、僕の全感覚に迫って来た
僕を支えるものは、ガタガタと激しい音を立てて左右に揺れ動く柱だけであった
その柱につかまりながら感じたことは・・・・
もうおしまいだ
♪只それだけの絶望感♪十五円五十銭♪十五円五十銭
しばらく揺れ続けた後で、地震はようやく静まった
僕は崖を降りるように、壊れた階段を伝わって、下宿を飛び出した
するとまたもや、地軸を鳴らす大動揺
♪往来の電柱が、右に左に 揺れ動くのが 錯覚のように映った
♪十五円五十銭♪十五円五十銭
僕は、その夜、上野の山で一夜を明かした
どちらを眺めても、東京の街は
いつ消えるとも知れぬ火の海であり
とめどなく広がっていく火事を眺めていると
あまりに強い火の刺激で頭がしびれて来た
ああ、火だ・・火の海だ
♪この火事が納まらぬうちに早くも 流言蜚語が市中を乱れとんだよ
♪横浜方面から朝鮮人が群れをなして押し寄せてくるぞお
♪目黒競馬場あたりに不逞鮮人が三四百人も集まって不穏な気勢をあげている
♪鮮人が井戸に毒物を投げ込んでいるから警戒しろお
♪十五円五十銭♪十五円五十銭
これらの嘘は、如何にも誠しやかに
人から人に伝えられていった
牛込の友の下宿を尋ねた時
そこでも、その噂で持ちきりだった
人々は、只、街中を右往左往
このすさんだお祭り騒ぎを支配するものは
銃剣をもって固められた戒厳令であった
「コラッ、待て」
驚いて振り返ると、銃剣を担いだ兵隊が
「貴様、鮮人だろ」
と、詰め寄って来た
なんと僕は、その時、長髪にルパシカ 異様な風体であった
自分の姿にはじめて気づいて、愕然とした
「ああ、いえいえ、日本人です。日本人ですよ」
♪こんな所にウロウロしていたら命が危ないぞ
♪十五円五十銭♪十五円五十銭
すると、ラッパの音を先頭に
騎兵の大集団が行進して来る
音羽八丁を埋め尽くす騎兵隊
今にも市街戦が始まるように殺気立ち
更に、殺気を添えたのは、辻々の張り紙だ
「暴徒アリ 放火掠奪ヲ逞シュウス 市民各位 当局ニ協力シテ コレガ鎮圧ニ 努メラレヨ」
流言蜚語の火元がどこであったのかを僕は初めて確認した
それは、警察の掲示板に貼ってあったのだ
♪十五円五十銭♪十五円五十銭
《本調子》
やっとの思いで辿り着いた滝野川の友の家は、幸い無事であったが、
新たな災いが、その家の回りをうろついていた
その友は社会主義者であり、近所から目を付けられていた
刻一刻と、市民の間に広がる一方であった
♪十五円五十銭♪十五円五十銭
どこやらで、朝鮮人の一団が
針金で数珠つなぎに縛り上げられ
河の中にたたき込まれたという噂を聴いたのも、友の家であった
僕は、災いの元になるであろうルパシカを脱ぎ捨てて
浴衣と黒いソフト帽を借りて、下宿へと引き返した
♪十五円五十銭♪十五円五十銭
その途中、野次馬に取り囲まれ
鳶口を背中から打ち込まれて
自らの血だまりの中へ倒れてゆく朝鮮の人夫風の男を
この目で見た
それは、そこだけでなく、至る所で行われたテロルであったのだ
九月五日の朝、僕は避難列車に乗り込んで、東京を後にした
《三下り》
ここでも、野蛮な眼が、ギョロギョロしていた
「こんなかだって、主義者や鮮人どもがもぐり込んでいるかもしれんぞ」
身動きもできぬ車中で、僕は思わず、帽子の鍔を目深に引き下ろした
髪の毛が長いということが、社会主義者の一つの目印であったから
♪汽車が駅に着くたびに 剣付鉄砲が車内をのぞき込み
♪怪しげな奴はいないかと 牛のような大きい眼でじろじろと見回す
♪そして、突然こう、怒鳴った
「十五円五十銭って言ってみろ」
「ええ?十五円?五十銭?」
「よしっ」
♪十五円五十銭
♪もし、チュウコエン コチッセン と発音したならば
♪その場からすぐに 引き立てられたに違いない
国を奪われ、言葉を奪われ
最後に命まで奪われた朝鮮の犠牲者よ
僕は、その数を数えることはできぬ
あの時から最早百年がたった
それらの骨は、もう土になってしまったであろうか
例え土になっても、尚消えぬ恨みにうずいているかもしれぬ
君たちを殺したのは野次馬だというのか?
野次馬に竹槍を持たせ、鳶口を握らせ、日本刀をふるわせたのが誰であったか?
僕はそれを知っている
僕は確かにそれを知っていた
しかし 知っていたからといって何になろう
あれから百年が過ぎたのだ。
それは忘却の百年だったのだ。
無惨に殺された朝鮮の民よ
君たち自身の口で生身に受けた残虐を語れぬならば
それを知る僕らが語りつぐほかないではないか
しかし僕らは語りついだのか、
忘却の百年は偽りの百年となった
偽りの百年は いまひとたびの残虐の言葉をこの世に響かせるのだろう
♪十五円五十銭♪十五円五十銭
十五円五十銭 !
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そして、1月5日に新年会があったので、そこで、無理矢理ネタおろしと相成った。
皆様、明けましておめでとうございます。教員をやめて、太夫に専念することにしてからとうとう8年が経ちます。当初、還暦までなんとか続けようと、目途にした年が始まりました。それが、平成最後の年になるとは、思いもしなかったわけですが、ほんとの節目になりそうな一年になりそうです。本年もいろいろな計画が準備されつつありますが、柏崎の「游文舎」さんとのつながりも又新しい展開となりそうです。(以下のリンクをご覧ください)特に、今年の夏頃から、新しいことが、いろいろと起きることになりそうです。
游文舎の開館十一周年記念の講演は、8月を予定しています。詳細が決まりましたら、お知らせいたします。
今年は、2回しかできませんでしたが、通算5回目となった「よみがえる説経祭文の夜」。20名を越える皆々様にお越しいただき誠にありがとうございました。満員御礼。
祭文松坂というのは、瞽女唄の中でも段物の物語を指します。日本庶民生活史料集成第17巻には、高田瞽女の「葛の葉」全3段が収録されております。これは、大変おもしろいです。だいたい説経や浄瑠璃は男性目線で作られているようですが、祭文松坂は、演者が女性なだけに、女性目線になっていると思います。母性ですね。この話しが、江州音頭や河内音頭でも定番なのもわかる気がします。
そこで、その音頭風に、エレキ三味線にしてみたのが、今回の遊びでした。別にエレキにするのには、この頃は安価なピックアップマイクがありますので、アンプさえあればなんの技能もいりませんが、先ほど京都でご一緒した「ky」のフランス人ヤンから伝授してもらった「ループ」というやつは、相当の熟練がないと、簡単にはいきません。
つまり基本のフレーズを弾いて、演奏しながら、録音させて、再生させて、だんだんとバリエーションをかぶせていくわけですが、言うは易しで、流れるようにつなぐタイミングは微妙です。しかもこれは足技で、使えるのは左足です。
直前までの特訓が効いたか、なんとかうまく行きましたが、こんなに稽古をしたのは久しぶりでした。
瞽女唄のように同じフレーズを繰り返すものには、この「ループ」はおもしろい効果があるようです。
同じく「集成」に収録されている「お岩木さん一代記」の「異聞」。姜信子の筆が冴えまして、山伏とイダコの問答になっております。背景の岩木山の神様が昇るようにみえましたでしょうか。
左は井上イダコ。八太夫手作りのミニ梓弓をたたいて。山伏は何故か羽黒修験で、しかも、ちょっとブロークン東北弁で勘弁していただきました・・・青森ネイティブの方がいらしたので、はらはらしましたが。
しかし、この話しも、男性世界に対する飽くなき抵抗が秘められているのです。「神になるたて、どんだけ苦しみうけないば。あぶらおんけ。あぶらおんけ。あぶらおんけ。」
「あぶらおんけ」の大合唱、ありがとうございました。