稽古場:ゆやんたん文庫 奈良市敷島町
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祭文かたり、熊野を目指す

説経かたりや山伏は当然、熊野への道を歩いたことだろう。私も、なんちゃってな事ばかりしていないで、ちゃんと修行を積まねばいかんというわけで、大阪公演を機会にして、熊野古道へチャレンジすることにした。

その昔、京都からは淀川を船便で下り、大阪天満橋近くの八軒屋浜に上陸したので、熊野への道はここから始まる。第一王子「窪津王子」跡の碑を探して、熊野古道探険を開始。と言いましても、当分、車での移動。これを歩いた昔の人は、本当に凄い。

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四天王寺の熊野遙拝所へ。

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なんであれ四天王寺は、説経の聖地。何度お参りしても新しい発見があります。東門の方で役行者様に出合ってびっくり。さすがは、四天王寺です。

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さて、その後、堀越神社、安倍王子、安倍清明神社、住吉大社、境王子、大鳥神社、篠田王子、平松王子と、大阪府内の熊野街道(小栗街道とか安倍の道とも)を駆け足で見てまわり、それから和歌山県御坊市に飛びました。日高川入相花王の舞台、日高川の天田堤。現在も「天田橋」が河口近くに架かっています。この川を清姫は渡ったのかあ・・・

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2日目は、なんと台風。嵐の道成寺に我々の外に人影も無く。安珍清姫の絵解きは貸し切りで得もしたのですが・・・(嵐の安珍塚)

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昼過ぎ、もう道成寺の周辺の道路は冠水していました。慌てて脱出して、田辺市方面へ。しかし、これは避難になっていない気がする。和歌山県の各所に次々と避難勧告が出されて行く中、中辺路へ突入。清姫の家があった「真砂」へ。清姫の墓へ参る。・・・これこそ清姫の涙の雨か・・・傘も壊れてびしょびしょに。

清姫堂)

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ようやく辿り着いた熊野湯の峰。一番のお目当ての「つぼ湯」は大変なことに

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入るどころじゃありません。水没していました・・・絶句・・・

まあしかし、宿の温泉を満喫して、十分に蘇った気分になりました。

三日目は台風一過の晴天。またまた、駆け足で、熊野本宮~花窟神社~速玉神社~那智大社紀伊の国をぐるっと一周。巨石達を堪能。

四日目こそ、いよいよ熊野古道を歩く。中辺路の中程、「小広峠」から「熊野本宮」まで8時間。思っていた以上に苦行でした。

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ゴールは熊野本宮大斎原の大鳥居

二十年ぐらい前に、ここを訪れた時は、伏し拝み王子で涙が出た。様々な霊が寄って来るような、もっと独特の雰囲気があったはずだが、残念ながら、今回の旅では、あまり感じられなかった。何故だろうか・・・熊野は古道では無く新道になったか?

さて、ちょっと奈良県側に越えると「十津川村」という村がある。実はこの村の知人宅にお世話になったのだが、驚いたことがある。「西川盆踊り」の稽古を見させていただいたのだが、その唄というのが、「ラッパ節」「ストトン節」「磯節」といったお座敷唄ばかりなのだ。こんな山の中にお茶屋があったのかと聞いたら、そうでは無いという。そうでは無いが、この村は相当のお大尽が沢山居たという。流石は紀ノ國(木の国)である。材木を筏に組んで、十津川から熊野川へと流して、新宮で遊んで帰って来る。そんな紀伊國屋がごろごろ居たのだという。この国はスケールが違うと思った。