自分の舞台は、死んだとき以外は、絶対に穴をあけない。と誓っている。私の芸道がその穴からのスタートだったからだ。そして、人の空けた穴は、率先して埋める。これが、案外に芸の足しになる。なぜなら、多分、その穴は、既存のものでは、なかなか埋まらないからだ。なにがしかの工夫が必要となる。否応なしに、必要は発明の母とか。
この頃、書き留めておいた、石牟礼道子さんの「苦海浄土」の一節や、アルテリに掲載されていた彼女の詩「夕焼」に感動して、節付けしておいたのものが、期せずして役に立った。控えの選手がいきなり起用されるようなかんじ。そして、改曲しておいた谺雄二氏の「死ぬふりだけでやめとけや」、なんとなく予感がしていて、いじっておいた。
しかし、それらの作品が、どうして、一コマ受業に必要なのだろうと不思議だった。これらの作品が、私の身の回りに登場してきたのは、この4年間のことで、それ以前は、なんにも知らなかった私であるから、駆り出された大学の教室で、学生たちの無反応さを見ても驚くには値しない。私も、ちょっと前までは、そっち側だ。
一見、無関係に思える作品が、「植民地」という体制を通して見事に、明らかにつながっていく。それが、特別講師「姜信子」の手腕。題して、特別講義「われら植民地の民と近代」、これもまた、穴故の産物。めでたし、めでたし。