稽古場:ゆやんたん文庫 奈良市敷島町
問い合わせ先 wata8tayu@gmail.com

虔十公園林

不得意だった宮沢賢治が、だんだん、少しずつわかってきた。賢治の山伏的側面にとっかかりを見つけて、まず「原体剣舞連」に取り組んだのが1月のことだった。2月は、山尾三省の「野の道ー宮沢賢治という夢を歩くー」という本が、実にすばらしい先達を務めてくれた。そこで、その本の最後の方、「野の道 三」に出てくる「虔十公園林」に取り組んでみることにした。実は、この物語には、以前から出会ってはいたのだが、とても手に負えなかったのである。

 『あるいは、人は、虔十が少し足りないからこそそれが出来たと言うかもしれない。

  それならば私達は、虔十に見習って少し足りなくなるよりほかはない。』(野の道より)

春と修羅」の修羅は、賢治の近代化との戦いなのである。

 『実際私達は、少し足り過ぎて核兵器を産み出し、原子力発電を発案して、人生を

  恐怖と不安で貧しくしていまっているのだから、足りないことを学習する方がむ

  しろ緊急のことですらあるのだ。』(野の道より)

 

虔十・・・けんじゅう・・・は、けんじー・・・賢治その人だったのだ。空を見上げて笑っているのは、賢治だったんだあと気がついたら、すっきりと節がうかんだ。この先は、少したりないことを目指そう。はあ、はあ、はあ・・・つつし(虔)みぶかく、十力の顕現をよろこぶ・・・すなわち虔十。

youtu.be

※お知らせ:サンプル音声を3月2日に差し替えました。