野生会議99企画「つながるゼミナール」in忘日舎の2回目。教科書に出てくる作られた虚像「賢治」をぶっとばして、宮沢賢治の真相に迫る。「あたまの底のさびしい歌」には、保阪嘉内宛ての「過剰」な手紙が満載。これを題材に姜信子・崎村良子作「修羅成仏経」が、過剰な演出で、過剰に演じられた。そして、「虔十公園林」は「マグノリアの木」と同じように、一途に追い求める心故に、純粋な至福と現実とのギャップに苦しむ賢治の過剰な感情がほとばしり出て、苦しくなる程だ。一見、美しい話のように読めるが、実はそうではない。雨が降る杉の林の中で虔十(賢治)が、「はあはあと息をつき、体からは雨の中に湯気を立てながら、いつまでもいつまでもそこに立っている」過剰な賢治が確かに見える。ようやく賢治がおもしろくなってきたぞ。賢治が見つめた絶望感は、今の日本社会の政治的絶望感とまったく同じだと思う。そこで、いよいよますます野生会議、ペクスの主題に賢治は添うのだと納得がいく。アシュラーという賢治のうめき声がアナーキーに聞こえてくる。
修羅成仏経ライブ映像 於 西荻窪 忘日舎
虔十公園林ライブ映像 於 西荻窪 忘日舎