遠野・花巻・早池峰と駆け足の調査から帰ってきてから、一日しか時間がありませんでしたが、手に入れた資料と映像を駆使して、「河原坊」と「原体剣舞連」をくみ上げました。
地図を提示して、賢治の歩いた道を解説
早池峰神社(岳:たけ)には、仁王像や不動明王が今でも残り、神仏習合の山伏の活動を彷彿とさせる。ここは、本来「妙泉寺」という天台の寺であった。
河原坊からの早池峰山を仰いで、祈祷
山伏祭文になった「河原坊」
後半は、「原体剣舞連」。一関、「達谷の岩屋」の毘沙門が、先住民の「悪路王」を踏みつけて、地鎮しているところから、解説。坂上田村麻呂は侵略者である。
「原体剣舞連」ダーダーダースコダーダー。とうとう、祭文踊りまで実現できました。ご協力、ありがとうございます。新しい山伏の修行形態が発生した瞬間。「場」の力を実感しました。