稽古場:ゆやんたん文庫 奈良市敷島町
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起ちなはれ 水俣 乙女塚

水俣といっても、薩摩との国境に近い丘の上に乙女塚はある。故砂田明氏の演劇活動が残したこの乙女塚の慰霊祭は、毎年5月1日に行われる。今年は、新型コロナの影響によって、砂田エミ子さんをはじめ、ほんの数人でしめやかに供養が行われたと聞いた。

 昨年2019年、9月に、初めて乙女塚に案内されたときに、ここの塚にいる方々は、賑やかな供養を望んでいらっしゃるように感じたので、今度来るときは、大勢で踊りまわるような供養をしましょうと、案内役の相思社の永野三智さんに提案したところ、快諾を得た。今回の「乙女塚まつり」計画の始まりではあった・・・その後、母子像の製作者でもある沖縄読谷村の金城実さんも参加していただけるようになるなど、盛り上がっていたのだが・・・せっかくのお祭りをやるのに、びくびくやるわけにもいかないということで、延期になった。

 しかし、もうひとつ、別の使命があった。それは、「乙女塚まつり」の実行委員長になっていただいた、まめすず・ちちろの宇田滋樹氏の願い。砂田明氏の詩「起ちなはれ」に節をつけて語ることだった。それは、奥さんの砂田エミ子さんに聴いていただかなければならない。もう、エミ子さんは九十歳は超えていらっしゃる。また来年、という気にはならなかった。

 「旅するカタリ」は密かに旅立った。要にして急である。最小限接触の隠密行動。だーれも乗っていない新幹線及び在来線の旅は快適であった。

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肥薩おれんじ鉄道も、くまもんしか乗っていませんでした。

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最初は、乙女塚に行って語る予定だったが、朝からザアーザアー降り。またやってしまった。前夜、酔っ払ってまた、雨ごいをやってしまったのだった。砂田さんの家でやるしかないなと思っていたが、なにしろ関西から来た人間が、高齢者の家にうろうろ入るわけにはいかないということになり、相思社にきていただくことに。仏間を間にはさんで、台所まで約15メートル。窓は開け放って、三密は免れたか・・・

 ところで、行きの新幹線の中で、「起ちなはれ」を調べていたら、元のバージョンと新しいバージョンがあることに気が付いた。どうやら、私が渡されたコピーは、新しいバージョンのようだ。さて、困った。どっちでやったものか?。そこで、始める前にエミ子さんに尋ねてみたところ、エミ子さんもそのことを気にしておられて、新しい方でやってほしいということだったので、一安心。

 

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「旅するカタリ」は、また新しい出会いをいただいて、新しい約束をしてきました。

 夜の会で演じた「舟非人」(ふなかんじん)を聴きにきていただいた溝口恭子さん。翌日のお昼にはカライモをもってきてくださり、お礼に「ふゆじどん」を聴いてもらいましたが、昨夜は、8歳で亡くなった妹が夢に出てきて楽しそうい踊ったというのです。その子は、溝口トヨコさんです。もちろん、水俣病で亡くなられたのです。

 トヨコさんが好きだった桜が、相思社のちょっと下に七本植えてあります。恭子さんが植えたものです。この桜は、役所に切られそうになったのを、恭子さんが命懸けで守ったといういわくつき。河津桜なので花が早い。いや、トヨコ桜と言わないとおこられる。

「トヨコが喜んでいるから、またやってほしい、毎年3月15日には桜の下で供養するから、また来てほしい。」

 さて、またひとつ、要なることができました。

  午後になって、雨は上がった。さあ、乙女塚にお参りだけして、帰ることにしよう。

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ここで、みんなで、盛大な念仏踊りをしたかったのですが・・・少しだけ賑やかに。

また、今度ね。