稽古場:ゆやんたん文庫 奈良市敷島町
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大晦日 融通念仏 供養

本来、大晦日の融通念仏というのは、例えば一人で百八回、般若心経を唱える所を、二人なら五十四回、十人なら10.8回=11回、百八人いれば、1回で済むというものなんだが、私の場合は、逆で、集まった人の数だけ供養の回数が増えると考えている。

まあ、回数なんて、こだわる必要もないといえば、そうなのだが、終わらないパレスチナでの虐殺や、ウクライナでの戦争等々、2025年の一年間でいったいどれだけの人間が殺されたのかと思うと、少しでも多くの供養が必要だと思ってしまう。そして、供養は遡って、資本主義的帝国の犠牲者にも及ばなくてはならないし、日本に限っていえば、大和朝廷にまでも遡って、虐げられた人々のことを思い起こして、供養するべきだと思う。家の神様は、土蜘蛛であり大嶽丸でありアテルイであり牛頭天王であるからだ。

そうして、2025年大晦日の念仏の参加者は自分を含めて6名。六千念仏を供養させていただいた。

 

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そして、

皆様、2026年丙午「おめでとうございます」は予祝の言祝ぎである。

私の仕事は、過去には供養、現在には感謝、未来には予祝ということになっております。本年も宜しくお願い申しあげます。

 

 

新企画 スナックウルトラ

大阪深江橋、スペースふうらでの、第三回目の「旅するカタリ」は、題して「スナックウルトラ」3分間たつと、アラームが鳴る。

上の写真はリハの模様だが、看板のネオンとウルトラアラームは、今回、一番力を注いだ作品だ。

さて、スナックウルトラで繰り広げられたのは、昭和歌謡とその背景にある社会史というか、日本の帝国資本主義が明治・大正・昭和と脈々と途切れもせずに、拡大し続けて、平成・令和の現在に至まで、人民の血を吸い続けているという話である。ゲストは舞台俳優の中川圭永子氏、口先案内人は言わずと知れた姜信子である。

さて、話を水俣から始めるため、旅芸人が水俣から辿り着いたと言う設定。旅芸人が水俣で聞いてきたというのは女郎ぽんたの悲しい話。しかし、その話の裏には「チッソ」が見え隠れ。そもそも水俣に色町ができたり、食い詰めた天草の人々が対岸の水俣に集まってきたのは「チッソ」があるからだ。石牟礼道子はそういことをさりげなく書き残している。

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そして、今夜のスペシャルゲストは、奈良県十津川からいらした通称「お局様」。この熊野の山奥の筏師達が、鴨緑江の筏流しに出かけたのは、日露戦争直後の1906年から太平洋戦争敗戦までの長きにわたる。日本の朝鮮侵出と共に、鴨緑江豆満江流域の森林開発が日本資本によって行われ、鴨緑江材の伐り出しをする業者に呼ばれて熊野・十津川の筏師たちが大挙して海を渡ったという。そうして鴨緑江節が生まれて広く歌われるようになったのが大正時代のこと。その鴨緑江節が今でも「筏節」という名で十津川で歌われ、盆踊りで踊られてきたというわけだ。なにげない歌にも植民地支配の記憶が潜んでいる。

 昭和になると日本の植民地となった朝鮮で、今度は「日本窒素(チッソ)」が植民地権力と結託して、好き放題に悪事を働く。鴨緑江水系に巨大ダム(発電所)を建設し、北朝鮮の海辺の広大な土地(現在の興南)を強制的に収容して巨大化学コンビナートを造る。「朝鮮窒素」は朝鮮第一の大企業として君臨し、水俣から多くの者達が働きにやってきた。ただし、過酷な労働は朝鮮人労働者を牛馬のように使役して行ったのである。水俣から働きにきた者達にとっては朝鮮は天国だったという。そして、天国・朝鮮の歌と言えば「鴨緑江節」。筏流しのない水俣でも鴨緑江節は歌われ、だから、『苦海浄土』にでてくる杢太郎の爺様は、鴨緑江節を歌うのだ。

 杢太郎の爺様は知る由もないが、鴨緑江にダム建設をしたとき、過酷な環境で働かされた朝鮮人・中国人労働者が死ねば、鴨緑江に死体が投げ捨てられたという。

 鴨緑江に流されたのは筏だけでないのである。

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そういう話が、次から次へ、チンライ節、満州娘・・・日本帝国の植民地主義が、軍国主義が様々な歌を生んで行く。

戦後は、ブギ。その後、フーガとかビギンとかタンゴとか。昭和を彩るリズムが、様々な世相というか、時代の色となって残っている。

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さて、第二次大戦は終わっていない。当時のソ連アメリカが勝手に朝鮮半島を分断してから何も変わっていない。依然として植民地主義は姿を変え、品を変えて、世界を食い散らかしている。この東の果ての分断が、反対側のパレスチナでも行われて、もっと酷い状況が生まれている。私達は、何にも知らないで学校で「マイムマイム」を踊らせられたが、これは、イスラエルパレスチナを侵略して喜んでいる歌だということを教えてもらった事はない。そうして、今、イスラエルで一儲けしようと、明治以来の悪徳ゼネコンが手ぐすねを引いているのが見える。

 「旅するカタリ」の語りと歌は、最期まで黙らない。

2年ぶりの水俣で!百年芸能祭開催

2年ぶりの水俣だったのだが、トラブルが多発したツアーであった・・・

そのうちのひとつが、ビデオカメラの電池切れ。でもよく考えてみると、4時間ももつはずないよね・・・というわけで、初の江州音頭、般若心経入りのその「般若心経」を記録できなかったのは誠に残念でありました。次回の機会をご期待ください。

参加されたのは、宮城教育大の山内明美氏、

詩人の小山伸二氏、

シンガーソングライターの生田卍氏、

そして、ご当地のシンガーソングライター柏木敏治氏

特に、柏木氏には、水俣を題材にした自作の歌を披露していただき、大変に感銘を受けた次第。そして、柏市氏が、投網で採ってきた鮎をみんなでいただくなどなど、地元ならでは味わいを堪能させてていだいた。

そして、初めて水俣を訪れた仲野麻紀のサックスが相思社の空気を震わせた。

水俣で百年芸能祭をやる意味は、そこがチッソだからだ。私には、水俣は今でもチッソの植民地に見える。資本主義と植民地主義のなれの果てで、狼煙をあげろ。

そういう場所が、いくつかある。そのひとつが「乙女塚」だ。故砂田明氏がつくられた乙女塚を妻の砂田エミ子氏が今でも守っていらっしゃるので、水俣に行ったら必ず、お参りにいくことにしている。2年ぶりのエミ子さんはお元気でおられた。先回は、塚の前で、「起ちなはれ」をやったのだが、今年は、お宅の中でやることになった。

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今回は、みんなで少しでも掃除ができたのが本当によかった。

さて、もうひとつ、2年前に故石牟礼道子氏の自宅を使って開店した

「カライモブックス」がある。ここは、水俣川のむこうがわ、その昔、とんとん村といわれていた辺り、そこで、石牟礼道子作「椿の海の記」から「岩殿(いわどん)」の話を語ってみた。

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つづきは、水俣の知る人ぞ知る「やうちブラザース」にヒントを得て作った

水俣異聞「満月の夜の狼のように」

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これでは、まるで旅するカタリのライブのようですが、実はこれは前座で、メインは初めて水俣にやってきた仲野麻紀氏でした。そもそもこの百年芸能祭開催のきっかけは、

たまたま仲野麻紀氏が旅にもちあるいた「唐芋通信」がモザンビークの子どもの手に渡り、その子が知るはずもない日本の文字を、絵のように綺麗に書いたことがきっかけだということです。これこそバタフライイフェクト。

 

袖すり合うも難波屋

カオリンズが主催する「袖すり合うも難波屋ライブ」に入れていただくのは、二回目です。ありがとうございます。おなじみタケチャンとスノルさんのコンビ「ノウルタル」とは初めて。どちらも、強烈なパンチで圧倒されました。すっかり前座と思っていたので、トリだと言われて・・・(^0^;)

それでも、西成の雰囲気にのまれて、のみこまれて、「旅するカタリ」を勤めさせていただきましたが、一番力をいれた新作「ケモノミチをゆけ」は、大コケのスッテンコロリンだったので、ココではカット!又の機会にがんばります。

ともあれ、これは、在日の思いが籠もったライブだったことは確かだ。

 まずは、金時鐘さんの詩「うたまたひとつ」。久しぶりの浄瑠璃三味線で語りました。

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生の浄瑠璃三味線が久しぶりなのは、エレキ三味線を使う唄物が、演目としてふえてきたからで、レパートリーの範囲が広がってきたことを物語っている。次の新作「飢饉」(姜信子作)も新しい奏法である、指弾きや刷毛弾きを使い、表現を工夫している。また、フランシスがカタリの前面にでることで、「旅するカタリ」の新境地を開拓しつつある。その現在進行形を見ていただきたい。ガザから朝鮮。

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三味線を琵琶に持ち替えて、まだ1年やそこらだが、この筑前琵琶は大変面白い。流石というか当たり前だが、三味線より語りやすいことこの上ない。確かに「音」数が少ないのだが、柱の効用で、押さえさえすれば、なんか鳴るので、なんとでもなるのだ。この即興性がすばらしい。

新曲「川から海へ こんこんちきちき」(姜信子作)をお聴きください。この、こんこんちき!

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あるお客さんの感想。

「毎回違う曲やるんですねえ」

「前やった、『新しい世界にようこそ』がまた聴きたい。」

 

そうだなあ・・・・その時々だから・・・・また新しいなにかかな?

新しい世界は、一瞬で古びてしまうのでねえ

それより、アンコールがあって困ったよ。

いよいよ、アンコールも用意しておかなくちゃね。

 

旅するカタリ 第3回目 in ふうら

二回目の打ち上げの後のおしゃべりの中から、ウルトラのママが出現しました。あまりに突然で、あまりに見事で、あまりにはまっているので、そのインパクトがすごくて、脈略とか、前後関係とか、まったく説明できません。未定だったゲストが、その場で決定。俳優「中川圭永子」氏。とにかく、今度のふうらは、スナック「ウルトラのママ」だそうです。そこに、旅芸人が流しに来るという趣向らしい。みんなも一杯気分で観ないとダメだね。何が起こるかはまったく不明。あなたと作るスナック「ウルトラのママ」にようこそ。

旅するカタリ in ふうら 第二回目

9月14日の生野パーク百年大芸能祭の記事が書けなかった。一番大きいのは、本部に回り運営、特に投げ銭集め「業務」に専念した為だろう、芸能者として立っていなかったように思う。また、ビデオカメラの故障で映像が不完全だったことも、やる気が失せたことの原因でもある。

 さて、それからの一ヶ月、ふうらでの二回目の「旅するカタリ」を練り上げた。

今回の目標は、琵琶の活用がひとつ、もうひとつは、観客を引き込んで、コールバックさせたり、踊らせたりできるように工夫することだった。

 

石牟礼道子作 「椿の海の記」より「岩殿」 琵琶語り

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同じく石牟礼道子作「椿の海の記」から「ズズカン」を借用して

参加者から集めた願い〇〇を織り込みながら

〇〇をたもれ、歌を召せよ。〇〇をたもれ、躍りを召せよ

などと、単純なプクのリズムで唱えてみた。

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その合間に、ケセランぱさらんのお二人にお願いして、沖縄民謡を歌っていただいたのも、飽きなくてよかったと思う。

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お客様に助けられました。でも、この配置にしなかったら、やはり踊りようもなかっただろうから、20人までなら、なんとかこの配置で続けようと思う。

目指すは、お客が踊り出すカタリだ!それこそが供養!

現代説経祭文の進化形

2025年8月31日、今年の百年芸能祭月間が始まりました。今日は9月1日。関東大震災102年忌の供養をさせていただきました。

 説経祭文というのは、いろいろな意味がありますが、願文であれば「予祝」を行い、鎮魂であれば供養を行うのが、私の説経祭文であると決めています。

 百年芸能祭開幕のチンドンはまさに「予祝」であり、だから「おめでとうございます」と言って廻るのです。

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そして、供養というのは、まさに「説経」なのです。日本の語り物というのは、どれも供養の為の物語なので、最後は神や仏になる縁起を語ることになるのです。

しかし、今となってはどれも古典的な物語です。私たちには私たちの物語が必要だと思います。さて、新しい説経祭文がはじまれ。

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