稽古場:ゆやんたん文庫 奈良市敷島町
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白い椿 赤い椿 八百比丘尼

八百比丘尼の話は、小浜が有名ではあるが、日本各地に非常に沢山残っている。かつて、その痕跡を探して、旅をしたことがある。東京に居た時には、青梅の塩舟観音がそれだったし、新潟の弥彦山の海側にも八百比丘尼の松とかいうのがあって捜索したことがある。

ところで、不思議に思ったのは、これだけ広範囲に分布しているのに、説経や浄瑠璃には、取り上げられていないことだ。(確か黄表紙のような読み本にはなったいた)ちゃんと調べたわけではないので、ちょっと、見渡した限りのはなしだけれど。

そして、今回の公演の後、お客様と懇談した時の話に、「この話は、子宮がうずく」という感想がでてきて、ちょっと、分かった気がした。

そもそも、説経とか浄瑠璃は、基本、男目線である。(六字南無右衛門のような女太夫もいたが)一方、この八百比丘尼は「女」のお話なのだ。

「人魚の肉を食う」というその「肉」と、八百年生きるその「生」、なんか生々しい「性」を感じる。この話は、庚申講やお十念のような、女性だけの夜の集まりに語られてこそ、その効果を十分に発揮するものだろうと思った。それをかたるのが比丘尼なのだろう。小浜の空印寺わきの八百比丘尼の洞窟は、まさに、「子宮」と呼ぶに相応しく、かつて、ここに、本当に比丘尼がいたというのも肯けるのである。

白い椿は、生の滴「母乳」であり、生の躍動と、不死のジレンマである。

赤い椿は、子宮と褜(えな)であり、循環する血液である。中央の蝋燭の赤い火を取り囲んで車座になって語る時、生と死が循環する。


そして、思った。八百比丘尼は女のものだ。男が手を出してはいけない・・・

 

百年芸能祭参加作品 阪田清子展 「思い出せない言葉」

声、もしくは音、というものは、震動であるから、閉じ込めることはできないと思う。この宇宙開闢のビックバンの声もしくは音は、未だに、この宇宙の淵で鳴り響いていて、それを宇宙マイクロ波背景放射という。そんな遠くにいかなくても、地層の褶曲をみれば、その音が聞こえてくるのは、わたしだけだろうか?また、河原の石ころの数億年のつぶやきも聞こえてくる。そして、ここに堅めたれたように見える本達にも、実は固有の運動があって、唸っているのだ。ゲストに御迎えした、金時鐘氏が、この宇宙のどこかに音の塊があるんじゃないかと思う、と言っておられたのは、本当だなと思った。ここにある固まった本達は、ひょっとすると、アカシックレコードみたいなものかもしれない。

さて、人の作品に、勝ってなことして大変申し訳ないとは思ったが、許可を得て、金時鐘氏の本を追加し、この固められた本達の、固められたが故に、語り出すべき歌を追加というか、応答というか、代弁というべきか・・・とにかく、再生せしむるのである。

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百年大芸能祭強化月間はつづく・・・しかし・・・暑すぎ・・・もう、地球は壊れたね・・・人間のせいでね。地質年代が経過した時、もし、知的生命体がいたならば、この時代を汚染紀と呼ぶだろう。この時代が、この本たちのように化石化される時、我々の声もしくは音は、聞こえるのだろうか?

 

9月1日 関東大震災101年目の被虐殺者への鎮魂

どうしても、9月1日でなければならないことがある。関東大震災の時に、「朝鮮人だから」と、殺された人々のことを忘れないということだ。植民地主義は、人間を見下して、その尊厳をかえりみない。百年前の朝鮮であり、今のパレスチナだ。そんな人間になりたくないと思うが、しかし、これは、特別の事ではなく、知らず知らずに、生活の中に染みこんでいることだと、愕然とする。あからさまなヘイトでなくても、無自覚なレイシズム、正義と言う名の暴力、親切でおせっかいな差別などが至る所にころがっているのが、この社会の人間なのだ。自分も例外ではないと、いつもおののく。

 だから、無念の死者達(・・・これは、大和朝廷が殺した人々、蝦夷、隼人、土蜘蛛・・からだ)そして、ウクライナパレスチナに至るまで、権力の犠牲者達のすべてを弔わなければならないと考える。

 その為には、犠牲者の名前を呼んで、呼び出すべきだと、考えている。呼び出して、一緒に歌ったり、躍ったりすることが、供養なのだと。そして、これは、自分が加害者にならないための、おまじないである。

残念ながら、関東大震災での朝鮮人犠牲者の数千人のうち、今回、呼名できたのは、たったの38名にすぎないが、それでも心を新たにするのは十分に重たかった。

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さて、第二回の百年大芸能祭は、昨年の反省から、「語り」の日と、「歌・躍り」の日に分けて開催しようということだったのだが、とんだ台風10号の迷走により、玉川奈々福氏の参加が叶わなかったのは、大変に残念なことだった。

第一部は、中川圭永子氏と社納葉子氏の「西から来たばぁば」不登校の「みなみちゃん」を励ます、ほほえましいストーリー。最近、本当に、子供は、学校には行かせない方がいいと思ってます。人間がこわされます。

第二部の旅するカタリは、中島敦作「1923年冬の京城」より、

姜信子翻案「京城1923」

ちょっと、何カ所か、頭が空白になって、最後は、実は、目が廻って、固まっていた。

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玉川奈々福氏の穴埋めで、急遽呼び出された人々により、百年芸能祭デラックスバンドminiが結成され、いつものように、どたばたと・・・・

「ガザで生き、ガザで死ぬ」がおすすめです。

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最後は、No human No cry で、躍れてよかった!!!!

 

明日、9月1日 百年大芸能祭 開会します!

大会本部声明

みなさま 9月1日百年大芸能祭<語り>編は、明日午後二時より予定どおり開祭いたします。 ただ、残念ながら、東京から参加の浪曲玉川奈々福は、東海道新幹線運休の可能性が限りなく高く、今回の来阪は見合わせることとなりました。

出演が2組になりましたので、木戸銭は予約3500円から2500円、当日は4000円から3000円に変更となります。

明日の大阪の天候は朝から小雨、午後には曇ったり時折パラついたりという感じのようです。 語る者歌う者聞く者躍る者が共に開く祭りの場に、どうぞ、みなさま、足元にお気をつけて、お越しくださいませ。 合言葉は、「さあ行くよ、命はびこる新世界!!」

 

関東大震災101年目に、「1923京城鍾路警察署チョギョヨン巡査の役を勤めさせていただきます。

 

9月1日 百年大芸能祭の開会は????

台風10号大接近のため、9月1日の開会式(於イサオビル)の開催が危ぶまれております。

9月1日午後2時から、大阪本町イサオビル

 

2024年第二回百年大芸能祭開会チンドン併口上

旅するカタリ&ケセランぱさらん  京城1923

中川圭永子&社納葉子       西からきたバアバ

玉川奈々福            金魚夢幻  

延期または中止のお知らせは、

前日31日に掲載いたします。
      

今度は釜に出没・・・神出鬼没ピヨピヨ団

釜ヶ崎の夏祭り参加の夢は、昨年、台風の為にあえなく吹き飛ばされましたが、今年は、トップバッターを仰せつかり、高校野球も休むという、くそ暑い14:00ジャストから、勤めさせていただきました。

さすがに、この所、場数を踏んだので、流れも良く、制限時間もクリアできてよかったです。

釜のおじさんたちからも声援をいただけたことが何よりも喜びです。ビール瓶が飛んでこなくてよかった。

先回のピースクラブで記録できなかった『「平和に生きる権利」でラップに挑戦』をお聴きください。

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それから炎天下で、3時間を過ごして、午後五時、中川五郎さんの優しい声に包まれて、幸せな気分となり、めでたしめでたしの釜ヶ崎でした。

 

行基菩薩像の前で・・・パレスチナ連帯フラッシュモブ

大熊ワタル氏が奈良のゆやんたん文庫に宿泊されたので、行基菩薩の前で、フラッシュモブをやろうということになりました。突然の提案でしたが、ピヨピヨ団DX+支援者にも駆けつけいただき、約40分ぐらいでしたが、行基菩薩の御加護の元、勤めさせていただきました。

背中はクラリネット奏者大熊ワタル氏、右は言わずと知れた偽山伏。行基菩薩像の前で心経を唱えてもなんの違和感も無い・・・ところからはじまりました。ダイジェスト版でごらんください。

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今回御参加者。撮影はすがさん。

終了後、ガザ出身という方にお礼をいわれて、大感激でした。

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外国人が多いからか、大変に反応が良く、今頃、ピヨピヨDXは世界中のSNSに拡散??してるかも。届くか、パレスチナに。