稽古場:ゆやんたん文庫 奈良市敷島町
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舞台裏から眺めると

「奈々福がたずねる語り芸パースペクティブ」番外編では裏方を務めた。裏から舞台を観ていると、又ちがったものが見えてくるようだ。

ちょうど、このところ手にしていた本が、「神々の明治維新」(岩波新書103)。明治政府の強引な思想統制に、仕方の無いむかっ腹を立てていた所だった。国家神道の強制。山伏修験は禁止である。県によっては瞽女も禁止されたというから、山伏による説経祭文などは、当然に弾圧をうけたに違い無い。

一方、「西便制」(風の丘を越えて/ソピョンジェ)。私の仕事は、案内人姜信子の話しに合わせて、この映画のほんの一部分を映すことだった。パンソリ奏者の親子がアリラン峠を越えて行く。国は違うが、近代化の中で居所を失って行くパンソリは、説経祭文ともダブって見えてくる。

現在、パンソリは、韓国の伝統芸能として確固たる地位を獲得しているということで何よりだ。演者は何千人単位で居て、各大学では国楽としてパンソリを扱うという。日本では、国家による啓蒙的抑圧によって、説経祭文等の芸能が低俗なものとみなされて以来、道端の芸能はあまり顧みられないのが現状だ。近代国家の暴力の傷は未だ癒えていない。いや、ひどくなる一方なのかもしれない。しかし、自分的には、だからこそ益々説経祭文がいいということになりそうだ。

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玉川奈々福 浪曲 陸奥間違え

浪曲は、説経祭文の兄弟分とはいえ、やはり時代が違うのだとはっきり感じる。つまり、発生の土壌が既に近代なのだから、匂いが違うのだろうな。創り出そうとする世界自体が違う。

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パンソリ 水宮歌(スグンガ)

安聖民(アン ソンミン) 鼓手 李昌燮(リ チャンソプ)

パンソリは、朝鮮の古典。水宮歌は、病気になった竜王が薬の「肝」を探す話しだが、大変コミカル。パンソリは、泣きだけでなく必ず、笑いがある。国民性だろうか。私の説経祭文にも、どうにか取り入れていきたいものだ。課題である。それにしても、鼓手(コス)のチャンソプがいつもカッコイイ。

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「かもめ組」三姉妹の鼎談。語り物の趨勢を軽妙に展開。これが結構人気の秘密。