稽古場:ゆやんたん文庫 奈良市敷島町
問い合わせ先 wata8tayu@gmail.com

語りの宇宙 in スペースふうら 10月

10月31日(土) 3時~
  語りの宇宙を観る 聴く 語らう
  ◆~瞽女と祭文語りは同じ旅の空の下~
  「旅と風土と声が生み出す物語」
   映像「瞽女さんの歌が聞こえる」
   説経祭文「山椒太夫 宇和竹根の段」渡部八太夫
   案内人・姜信子
<参加費 1500円>
 
山椒大夫の物語は、それぞれの場所でお話が違います。語りの旅をした瞽女さん、聞き入った民たち。心のなかに入っていけば、よびおこされるものに、出会えるかもしれません。

※要予約でお願いします。(感染症対策で連絡が必要になることがあります)

080-9880-2939(畑)

 

このところ、新作の制作や、音楽性の向上のためにいろいろなジャンルの楽曲の取り込むなどの工夫に精力的に取り組んでおりました。毎年、何曲かの新作を創りだしていること自体、自分でも驚きですが、こうした出来事も、一人では始まらないことで、様々な人との出会いによる触発があって初めて、可能になります。新しい出会いが、触媒となって化学的変化が起きて、新しい楽曲が、新しい世界が、新しい神が、生まれる。それが、楽しくて仕方ない、今日この頃。

 ところが、以前は、かたくなに伝統にしがみついておりました。おそらく、それは一種の権威主義だったと思います。そんなところから、ひきずり降ろしてくれたのが、姜信子という人ですが、時々は、古典をやれという注文が参ります。

 特に、大学の授業をやるときには「語り」のサンプルとして、古典的な演目を語る機会が多いのですが、このコロナ禍の中で、対面の授業はなくなり、唾を飛ばすような私の出番も当然、今年はなかった訳です。

 少し、錆び付いたかもしれない。古典的説経祭文を久しぶりに語りましょう。

薩摩若太夫の説経祭文正本「三荘太夫」は、全36段あって、東京の日本橋横山町にあった和泉屋が版元になっています。例えば、こんな本です。

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宇和竹恨之段(うわたけうらみのだん)とあります。その書き出しは、次のようなかんじです。

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これを読み下すのも太夫の仕事であります。以下、この段の私の翻刻です。

さればにや、これはまた
何、思いけん、宇和竹は、居直って
御台様の前(まい)へ両手を突き
「申し、御台様
思えば思えば、憎っくき
直江の山岡
宇和竹、つくづく考えみまするに
あなた様と諸共に
佐渡ヶ島とやらへ売られ行き
三代相恩のご主人の
朝夕の御難義を
家来の身として、宇和竹が
見まするも、ほうぎ(法義)にあらず
 只、この上は、自らに
永(なが)のお暇を給われ」と
言うより早く、宇和竹は
海へざんぶと身を投げる
御台は、はっと驚いて
「えい、情け無い、宇和竹よ
そなたばかりが、死なずとも
何故(なぜ)、自らをも、連れざりし
供に、入水(じゅすい)」
と、立ち上がれば
次郎は、慌てて、い抱き止め
「どっこい、そうは参らぬ
たった今、山岡が元より
二貫づつ、四貫に
買いたてほやほや
一人(ひとり)、飛び込まれて
二貫の損耗(そんもう)
その上又、おのれに飛び込まれてたまるものか
こりゃ、こうしては、置かれぬ
どれ、ひっ括(くく)してくりょう」と
何の厭いも荒縄の
舫いを解いて、高手小手に括(くく)し上げ
中舟梁に猿繋ぎ
腕に任せて、艪を立てて
佐渡ヶ島へと漕いで行く
それはさて置き、その時に
遥か沖より、水煙り
逆波立って、荒れ出だし
黒雲、しきりに舞い下がり
震動雷電霹靂神
(しんどうらいでんはたたがみ)
雨は、車軸を流しける
女の一念恐ろしや
かの宇和竹が怨霊は
二十尋あまりの大蛇と、
忽ち現われて
九万九千(くまんくせん)の鱗に、水をいららけて

 角を、かぼくと(※がばっと?)、振り立て
大の眼を怒らして
実に、紅の舌を巻き
逆巻く波を掻き分けて
浮いつ、沈んず、沈んず、浮いつ
直江へ戻る山岡が
跡を慕うて、かの大蛇
雲に紛れて飛んで行く
其の時、山岡権藤太
直江、間近くなりけるが
後(あと)振り返り、見るよりも
宇和竹大蛇と、夢知らず
「こは、叶わなじ」と
言うままに
板子の下へ潜り込んで
よく(除く)げ(気)は、微塵もあらざりし
例え、大蛇に飲まれても
この十二貫は、放さぬと
しっかと押さえ、
「桑原、桑原、万歳楽」
と、言うままに
がんな、がんな、がんな、震えて
宇和竹大蛇は、大音に
「おのれ、にっくき山岡め
大切なりし、ご主人を
よくも謀り、売ったりし
思い知らせん山岡」と
聞くより山岡、驚いて
板子の下より、首を出し
「これこれ、申し、宇和竹様
大蛇様
売ったが、お腹が立つならば
まだ十二貫は、ここにある
取り返して、しんじょうから
命は助けて下され」と

がながな、震えて居たりしが
何かは以てたまるべき
山岡、乗ったるその船を
きりり、きりりと、巻き壊し
中なる山岡、掴み出し
宙にも引き立て、宇和竹が
ずんだずんだに引き裂いて
海の水屑となしにけるは
小機微(こきび)良くこそ見えにける
元の起こりは、直江にて
宿貸さざる、恨みとて
直江千軒、荒れ渡る
誠に、昼夜の分かち無し
千軒の者共内より
名誉の博士をもって、占わせ、見るに
入水なしたる局、宇和竹が怨霊と
易(えき)の表に現わるる
せめて、祟りを鎮めんと
早々(そうそう)、浜辺に祠(ほこら)建て
宇和竹大明神と、ひとつ社の神に勧請す
昔が今に至るまで
北陸道(ほくろくどう)は、北の果て
越後の国、直江千軒の鎮守
宇和竹大明神、これなりし
人は一代、末世に残るは、宇和竹社(やしろ)なり

それは、扨置き、ここに又
ものの哀れは、ご兄弟
彼の宮崎が買い取りて
遙々、丹後へ
急がるる
程無く、丹後になりぬれば

太夫正本「三荘太夫」全段を参照されたい方は、八太夫ホームページの以下のリンクをご覧ください。

wata8tayu-saimon.jimdofree.com

 

数ある古典的演目のうち、どうして今回、この演目を取り上げるのかというのは、来ていただいてのお楽しみなのですが、前半の「瞽女」さんと「説経祭文」とは切っても切れぬ「仲」ということだけお知らせしておきましょう。