既に、八太夫ホームページ「松浦長者」で、説経原文を掲載してありますので、ご覧下さい。
「松浦長者」は、竹生島弁財天の由来を語る本地物ですが、お話しのスタートは、奈良の壺坂です。松浦長者は、財はあっても子宝にめぐまれませんでしたので、長谷観音にお参りしました。
お願いしたのは、この観音様でした(十一面観音立像)。そうして誕生したのが、小夜姫でした。ところが、小夜姫が4歳の時、松浦長者は36歳の若さで、この世を去ります。それから十三年がたったある日、母は長者の菩提を供養するお金が無いと歎くので、小夜姫は、自分の身を売ることを決心するのでした。その願掛けに春日大社をお参りしますと、通り掛かった興福寺の僧が、「それ、親の菩提を問うというは、身を売りてなりとも弔うを大善」と説法しているのを聞き、門前には、『見目良き姫のあるならば、値を良く買う(こう)べきと所はつるや五郎太夫』という高札があるのを見るのでした。
(興福寺金堂)
そうして、小夜姫が、自ら身を売って、陸奥へと旅立つくだりは、本文をお読みいただくとして、その身売りの先は、奥州陸奥の国、安達の郡だったのでした。小夜姫は、龍の身御供にするために連れてこられたのでしたが、法華経を読誦して、龍を成仏させるのでした。
(壺阪寺の奉納額の一部)
成仏できて喜んだ龍は小夜姫を乗せて水底にもぐると、あっと言う間に、故郷に送り帰したと言います。戻って来た所は、猿沢の池でした。