稽古場:ゆやんたん文庫 奈良市敷島町
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十五円五十銭 

昨年12月に、正月用の「トック」を買いに新大久保の韓国広場に出かけた。その時、立ち寄った「高麗博物館」で出会ったのが、壺井繁治氏による詩「十五円五十銭」だった。関東大震災の時に起こった朝鮮人虐殺事件は、折口信夫氏の「すなけぶり」で知ってはいたが、それにくらべると長編である「十五円五十銭」は、語りに仕立てることができるかもしれないと感じてコピーをいただいてきた。

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しかし、これがなかなかうまくいかない。そうこうしているうち、12月25日の獄友イノセンスのクリスマスコンサートに出かけたが、ここで、改めて中川五郎氏の「千歳烏山ブルース」(?題名が違うかもしれません)に遭遇。同じく、朝鮮人虐殺の歌である。ビデオでは見ていたのだが、やっぱり生の衝撃は強烈。これに触発されて、というか、ぶったたかれて、大晦日から歳越しで、「十五円五十銭」に取りくんだ。

 

十五円五十銭 壺井繁治原作 1947年

 

渡部八太夫 編  平成30年12月31日

      節付 平成31年1月2日

姜信子   補綴 平成31年1月2日

 

二上り》

1913年9月1日 正午2分前の一瞬

地球の一部分が激しく身震いをした

関東一帯を揺すぶる大地震

この災いを誰が予知したであろう

この呪文を誰が最初に唱えたのだろう

♪十五円五十銭♪十五円五十銭

 

その日、9月1日の明け方、ものすごい豪雨だったのだ

すべての人々が、眠り惚けている中を

その眠りさえも押し流そうとする程の勢いだ

僕は夜中から朝にかけて、詩を書き続けた

雨は一瞬の休みも無く降り続いた

 

♪すべての物音を掻き消して、全世界を支配するかの様に

♪十五円五十銭♪十五円五十銭

 

豪雨の中を、上野動物園のライオンの遠吠えが切れ切れに聞こえてきた

今にして思えば、その野獣は、地震計よりも正確に

その鋭い感覚によって、既に、あの地震を予知していたのかもしれない

僕はそれとは知らず、ひとり詩を書き続け

人々が目を醒まし始めた頃

 

♪僕はやっと眠りについた

♪十五円五十銭♪十五円五十銭

 

前後不覚の深い眠りから、僕を揺り起こしたのは、あの地震だった

僕が目を醒ました時、既に部屋の壁は音を立てながら崩れ落ち

如何ともし難い力をもって、僕の全感覚に迫って来た

僕を支えるものは、ガタガタと激しい音を立てて左右に揺れ動く柱だけであった

その柱につかまりながら感じたことは・・・・

もうおしまいだ

♪只それだけの絶望感♪十五円五十銭♪十五円五十銭

 

しばらく揺れ続けた後で、地震はようやく静まった

僕は崖を降りるように、壊れた階段を伝わって、下宿を飛び出した

するとまたもや、地軸を鳴らす大動揺

 

♪往来の電柱が、右に左に 揺れ動くのが 錯覚のように映った

♪十五円五十銭♪十五円五十銭

 

僕は、その夜、上野の山で一夜を明かした

どちらを眺めても、東京の街は

いつ消えるとも知れぬ火の海であり

とめどなく広がっていく火事を眺めていると

あまりに強い火の刺激で頭がしびれて来た

ああ、火だ・・火の海だ

 

♪この火事が納まらぬうちに早くも 流言蜚語が市中を乱れとんだよ

♪横浜方面から朝鮮人が群れをなして押し寄せてくるぞお

♪目黒競馬場あたりに不逞鮮人が三四百人も集まって不穏な気勢をあげている

♪鮮人が井戸に毒物を投げ込んでいるから警戒しろお

♪十五円五十銭♪十五円五十銭

 

これらの嘘は、如何にも誠しやかに

人から人に伝えられていった

牛込の友の下宿を尋ねた時

そこでも、その噂で持ちきりだった

人々は、只、街中を右往左往

このすさんだお祭り騒ぎを支配するものは

銃剣をもって固められた戒厳令であった

「コラッ、待て」

驚いて振り返ると、銃剣を担いだ兵隊が

「貴様、鮮人だろ」

と、詰め寄って来た

なんと僕は、その時、長髪にルパシカ 異様な風体であった

自分の姿にはじめて気づいて、愕然とした

「ああ、いえいえ、日本人です。日本人ですよ」

♪こんな所にウロウロしていたら命が危ないぞ

♪十五円五十銭♪十五円五十銭

 

すると、ラッパの音を先頭に

騎兵の大集団が行進して来る

音羽八丁を埋め尽くす騎兵隊

今にも市街戦が始まるように殺気立ち

更に、殺気を添えたのは、辻々の張り紙だ

「暴徒アリ 放火掠奪ヲ逞シュウス 市民各位 当局ニ協力シテ コレガ鎮圧ニ 努メラレヨ」

流言蜚語の火元がどこであったのかを僕は初めて確認した

それは、警察の掲示板に貼ってあったのだ

 

♪十五円五十銭♪十五円五十銭

 

《本調子》

やっとの思いで辿り着いた滝野川の友の家は、幸い無事であったが、

新たな災いが、その家の回りをうろついていた

その友は社会主義者であり、近所から目を付けられていた

朝鮮人騒ぎ、社会主義者騒ぎは、

刻一刻と、市民の間に広がる一方であった

 

♪十五円五十銭♪十五円五十銭

 

どこやらで、朝鮮人の一団が

針金で数珠つなぎに縛り上げられ

河の中にたたき込まれたという噂を聴いたのも、友の家であった

僕は、災いの元になるであろうルパシカを脱ぎ捨てて

浴衣と黒いソフト帽を借りて、下宿へと引き返した

 

♪十五円五十銭♪十五円五十銭

 

その途中、野次馬に取り囲まれ

鳶口を背中から打ち込まれて

自らの血だまりの中へ倒れてゆく朝鮮の人夫風の男を

この目で見た

それは、そこだけでなく、至る所で行われたテロルであったのだ

 

九月五日の朝、僕は避難列車に乗り込んで、東京を後にした

 

《三下り》

ここでも、野蛮な眼が、ギョロギョロしていた

「こんなかだって、主義者や鮮人どもがもぐり込んでいるかもしれんぞ」

身動きもできぬ車中で、僕は思わず、帽子の鍔を目深に引き下ろした

髪の毛が長いということが、社会主義者の一つの目印であったから

 

♪汽車が駅に着くたびに 剣付鉄砲が車内をのぞき込み

♪怪しげな奴はいないかと 牛のような大きい眼でじろじろと見回す

♪そして、突然こう、怒鳴った

 

「十五円五十銭って言ってみろ」

「ええ?十五円?五十銭?」

「よしっ」

 

♪十五円五十銭

♪もし、チュウコエン コチッセン と発音したならば 

♪その場からすぐに 引き立てられたに違いない

 

国を奪われ、言葉を奪われ

最後に命まで奪われた朝鮮の犠牲者よ

僕は、その数を数えることはできぬ

あの時から最早百年がたった

それらの骨は、もう土になってしまったであろうか

例え土になっても、尚消えぬ恨みにうずいているかもしれぬ

 

君たちを殺したのは野次馬だというのか?

野次馬に竹槍を持たせ、鳶口を握らせ、日本刀をふるわせたのが誰であったか?

僕はそれを知っている

 

僕は確かにそれを知っていた

しかし 知っていたからといって何になろう

 

あれから百年が過ぎたのだ。

それは忘却の百年だったのだ。

 

無惨に殺された朝鮮の民よ

君たち自身の口で生身に受けた残虐を語れぬならば

それを知る僕らが語りつぐほかないではないか

しかし僕らは語りついだのか、

 

忘却の百年は偽りの百年となった

偽りの百年は いまひとたびの残虐の言葉をこの世に響かせるのだろう

 

♪十五円五十銭♪十五円五十銭

 

十五円五十銭 !

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そして、1月5日に新年会があったので、そこで、無理矢理ネタおろしと相成った。

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