稽古場:ゆやんたん文庫 奈良市敷島町
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9月1日 関東大震災101年目の被虐殺者への鎮魂

どうしても、9月1日でなければならないことがある。関東大震災の時に、「朝鮮人だから」と、殺された人々のことを忘れないということだ。植民地主義は、人間を見下して、その尊厳をかえりみない。百年前の朝鮮であり、今のパレスチナだ。そんな人間になりたくないと思うが、しかし、これは、特別の事ではなく、知らず知らずに、生活の中に染みこんでいることだと、愕然とする。あからさまなヘイトでなくても、無自覚なレイシズム、正義と言う名の暴力、親切でおせっかいな差別などが至る所にころがっているのが、この社会の人間なのだ。自分も例外ではないと、いつもおののく。

 だから、無念の死者達(・・・これは、大和朝廷が殺した人々、蝦夷、隼人、土蜘蛛・・からだ)そして、ウクライナパレスチナに至るまで、権力の犠牲者達のすべてを弔わなければならないと考える。

 その為には、犠牲者の名前を呼んで、呼び出すべきだと、考えている。呼び出して、一緒に歌ったり、躍ったりすることが、供養なのだと。そして、これは、自分が加害者にならないための、おまじないである。

残念ながら、関東大震災での朝鮮人犠牲者の数千人のうち、今回、呼名できたのは、たったの38名にすぎないが、それでも心を新たにするのは十分に重たかった。

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さて、第二回の百年大芸能祭は、昨年の反省から、「語り」の日と、「歌・躍り」の日に分けて開催しようということだったのだが、とんだ台風10号の迷走により、玉川奈々福氏の参加が叶わなかったのは、大変に残念なことだった。

第一部は、中川圭永子氏と社納葉子氏の「西から来たばぁば」不登校の「みなみちゃん」を励ます、ほほえましいストーリー。最近、本当に、子供は、学校には行かせない方がいいと思ってます。人間がこわされます。

第二部の旅するカタリは、中島敦作「1923年冬の京城」より、

姜信子翻案「京城1923」

ちょっと、何カ所か、頭が空白になって、最後は、実は、目が廻って、固まっていた。

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玉川奈々福氏の穴埋めで、急遽呼び出された人々により、百年芸能祭デラックスバンドminiが結成され、いつものように、どたばたと・・・・

「ガザで生き、ガザで死ぬ」がおすすめです。

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最後は、No human No cry で、躍れてよかった!!!!