久しぶりに東京に行きました。今年に入ってから宮沢賢治を中心に聞いていただいたので、久しぶりに石牟礼じょろりに戻りました。駆けつけていただいた皆様、ありがとうございました。
「西南役伝説」から「草文」。その後の石牟礼文学の中で、「ぽんぽんしゃらどの」という名で出てくる「神経殿」(しんけいどん)の大元の話。その名は「おえんしゃま」。元々は、武士の娘であったのに、幕末に没落して、二本木という熊本の遊郭に売られてしまう。それで狂ってしまった女性の物語。彼女が亡くなった後、山道に沢山の「草文」(藁のリング)が山をなして残されていた。そこから沢山のきのこが取れるので、村の人々は、「おえんしゃまの仕事の手形」といって、懐かしがるのだった。
夏前の公演で水俣野生会議の取り組みを展開していたわけなので、全体に水俣野生会議の報告会的な雰囲気。特に、後半は水俣野生会議に参加していただいた忘日舎の石原さんの「オオカミ」の作品も加わって姜信子作「水俣異聞」が発表された。本人の朗読である。
更に、石牟礼さんの詩集「祖さまの草の邑」から「於古世野魚万呂」を唄う。
写真は、「あこう」の木。魚万呂の奥方になる。
最後の唄は、おなじ詩集から「しゃれこうべ」と決めていたので、バックに映像が、骸骨だったのだけれど、水俣の乙女塚の話から、砂田明さんの「起ちなはれ」のはなしとなり、結局は、骸骨のまま、「起ちなはれ」をやることに・・・でも、それも、よかったようだ・・・骸骨が・・・起ちなはれと言っている。
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