稽古場:ゆやんたん文庫 奈良市敷島町
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中将姫会式 無期延期となりました 日張山青蓮寺 

4月12日に予定されていた「中将姫会式」1246回忌の法要は、延期となりました。延期日程は未定です。これも前代未聞の次第です。

 仕方がないので、今回の法要に奉納するために書いた説経を公開いたします。

南無阿弥陀仏

 

中将姫日張山縁起

 

 青蓮寺住職堀切康洋監修

渡部八太夫抄本補綴

床本:説経正本集第3(45)

刊期・所属 不明(推定:天満八太夫系)大伝馬三丁目 鱗形屋孫兵衛新板

青蓮寺ホームページ参照

 

 

哀れなるかな、姫君は

松井嘉藤太の情けにて

空しき命を逃れつつ

日張山に隠れ住む

姫は、母の菩提の為、称賛浄土経を唱えつつ

「なかなかに山の奥こそ住みよけれ

草木は人の性(さが)をゆわねば」

と、一年が間を暮らしけるが

姫十六歳の春の頃

残念なるかな嘉藤太は

病の床に倒れ伏し、介抱尽くせど甲斐もなく

ついに明日の露となる

今は、頼みも槻(※尽き)弓の

やる方も無き御風情

去れども、嘉藤太が女房の支えにて

落ち穂を拾い、物を乞い

良きにいたわり奉り

念仏三昧に月日を送らるる

 

ある時に、姫君、

称賛浄土経を書き写し給いつつ

「如何に、女房、聞き給え

そも、この経と申すは

釈迦牟尼仏の弥陀の浄土を褒め給いたる経なれば

常に読誦し給いて

夫(つま)の嘉藤太に、供養あれ」

と、の給えば

嘉藤太が女房、有り難き次第とて

お経を給わり

それよりも、女房は嘉藤太が供養に月日を送らるる

 

これはさて置き

中将姫の父、難波(なんば)の大臣豊成は

春も半ばのことなるに

思い立たせ給いしは

『皆々、山の雪も消え

谷の氷も溶けつらん

雲雀山に打ち越え

狩りして、心を慰まん』

と、数多(あまた)

の勢子を催して

雲雀山へと出で給う

 

山にもなれば

峰々、谷々、狩り下し

心を尽くし給えども

鹿の子のひとつも捕らまえず

大臣、大きに腹を立て

峨々たる峰に駆け上がり

谷を見下ろし給えば

とある尾上(おのえ)に、庵ありて

煙、微かに立ちにけり

 

豊成、ご覧じて

「昔よりこの山に

人の住みたる事、例し無し

如何様、不思議に候えば、見ばや」

などと思し召し

馬より飛んで降り

間近く寄りて、見給うに

年、十四五の女、机に寄り掛かり

経を書けば、五十ばかりの女房

差し添いてぞ居たりける

 

なむあみだぶ なむあみだぶ なむあみだぶ

なむあみだぶ * なむあみだぶ なむあみだぶ

なむあむだぶ なむあみだぶ なむあみだぶつ

な-む あみ- だ-ぶ-

 

豊成、ご覧じて

「如何様、妖怪変化なるが、

某を謀り(たばかり)

迷わせんためなるべし

いでいで、奴めにもの見せん」

と、思し召し

鏑矢(かぶらや)を取って打ち番い(※音の出る矢)

しばし、固めて、ひょうど放(はな)つ

去れども、姫君

仏の化身にてましませば

御身には障り(さわり)無く

庵の上に、弥陀の来迎ましましてこの矢、

机にはっしと立つ

姫君、驚き給いつつ

「こは、何者の業なるぞ」

と、走り出でんとし給えば

嘉藤太が妻、姫君の御矢面(やおもて)に駆け塞がる

 

豊成(とよなり)、この由、ご覧じて

「如何に、それなる女

掛かる人里遠き深山に

住みけるは、如何なる者にてありけるぞ

その名を名乗れ」

と仰せける

 

姫君、立ち出で給いつつ

「ご不審な理(ことわり)なり

我、十四歳の時に、継母の御気色悪しくして

既に、この山にて、失われ申さんを

去る郎等の情けにより、今まで、永らえ申すなり

例え、自らを失わせ給うとも

この女房は

自らに一方(ひとかた)ならぬ

忠の人にて候えば、助けてたべ」

とぞ仰せける

 

豊成、はったと、思い合い(※思いあたり)

「御身が父の名をば、何と言うぞ」

と問い給う

 

「恥ずかしながら、難波の大臣」

と、言いも果てさせ給わぬに

「やれ、我が子にてありけるか

父、豊成は、我なり」

と、互いに、ひしと抱だき付き

先ず、先立つは、涙なり

 

豊成、御涙を押し留め

「いざや、都へ帰り給え」

と、の給いて、御輿に召されつつ

都を指して帰らるる

 

さてもそののち、中将姫は

当麻寺にてご出家なされ

有り難くも阿弥陀如来

観音菩薩を拝し給い

極楽浄土の変相を感得す

これもひとえに

命の恩の嘉藤太がおかげとて

かつて暮らせし日張の山に御堂建立し

嘉藤太の菩提を、その妻に供養させ給う

上古も今も末代も

日張山青蓮寺とはこれなりけり

ありがたかりけり次第なり