稽古場:ゆやんたん文庫 奈良市敷島町
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説経祭文三庄太夫全十五段 千秋楽

類い希なる「山椒太夫」の通し狂言

実は、これが二回目です。全く因果な話ですが、一回目は、2017年に猿八座で、人形浄瑠璃として説経山椒太夫全6段の通し狂言に取り組みました。これも延々と一日がかりの代物で、おいそれとは、できません。多分二度とやらないと思います。

 なのに、懲りずに、今回は説経祭文で山椒太夫。2021年7月から中1回の延期があり、十六ヶ月を掛けての長期公演でした。これもまあ、中身はどうあれ、続いたことが奇跡的だと思います。でも、これも二度とやらないと思います。

 この経験で気がついたことは、その昔も、通し狂言なんかしてなかったんじゃないかということです。残っている所謂、版本(木版)は、読み物である可能性が高く、演じられていたのは、その中でも特定の段ではなかったか?歌舞伎等でもドラマチックな有名な段だけが好んで演じられますが、あれは、そこだけ残った訳ではなく、最初からそこだけドラマチックに演出したのではないか?

なんのために?

それは、本を売るために。あるいは貸本の人気を高める為に。

 それぐらい、版元と座元と太夫は密接だったと感じます。というよりも、こうした台本をつくったのは、「太夫」ではなく、版元の戯作者であったように感じます。「太夫」は語り手としての看板ではありますが、多分、創作者ではなかったような気がします。流浪の説経者が物語を紡いでいったというのは、ロマンチックですが、実は、本屋さんが裏で暗躍、いや別に暗躍でなくてもいいが、ネットワークを形成していて、様々な「ネタ」を集めていたのではないかと、想像しています。

以上は、今回の説経祭文山椒太夫全段を演じてみた私の感想で、根拠はほとんどありません。しかし、まったくもってお付き合いいただいた観客の皆々様方には、本当に申し訳ありませんが、表現手段として、通し狂言が、必ずしも有効ではなかったなあと感じています。

なので、今後、物語を、全段通して演じるということはないかなと思っております。

それはさて置きそれよりも、今回、大阪の耳の肥えた方々を前にして、一年以上曲がりなりにも床を維持できたのは、暖かくも厳しい、お客様方のご指導があったればであります。何よりも変わったのは、台本こそ捨てられませんでしたが、顔を上げて、お客様の顔を見ることや、お客様への問いかけ、やり取りをすること、更に、お客様参加型に巻き込んでいく等々の、舞台上の手管を鍛えていただいたことです。

最後に、こうした機会を与えていただいた、カフェ周の稲本氏に深く感謝申しあげます。

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カフェ周での「旅するカタリ」公演は、暫く充電期間をいただきます。

新企画は、2023年2月スタートの予定です。乞うご期待。