二日目は、朝も早よから、両国の東京都慰霊堂へ。
ここは、震災当時、旧被服廠跡の空き地であったため、多数の人々が避難してきたが、火災旋風によって、逆に多数の焼死者を出した場所である。その地に立って、供養することは大きな意味があると考えるが、ここの復興記念館(東京大空襲も含む)というやつは、いただけない。展示の姿勢が間違っている。第一に、この「復興」という言葉が、この地震の後に生まれ、東北大震災までも貫くひとつの似非物の概念となる。それは、元にもどすことではなく、権力者の意図する計画を実行することだ。そして、この記念館の展示物の中で一際、違和感があるのは、天皇・皇室に関する展示である。見たくもないものを見たという感じ。因みに、ここのビデオ資料には、朝鮮人虐殺のことは一切触れられていない。
しかし、横網公園内には、朝鮮人犠牲者の碑があり、毎年9月1日には、この碑の前で追悼式典が行われる。今年の百周年を9月2日に大阪でやらせ下さいとお願いをしてきた。
そのれから、朝鮮人虐殺現場のひとつである旧四つ木橋跡に向かった。京成押上線の八広駅からすぐのところである。ここでは、「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」一般社団法人「ほうせんか」の西崎雅夫氏に案内いただいた。その全貌を以下、ユーチューブでお聴き下さい。
関東大震災朝鮮人虐殺事件(荒川旧四つ木橋)西崎雅夫氏 解説1 - YouTube
関東大震災朝鮮人虐殺事件(荒川旧四つ木橋)西崎雅夫氏 解説2 - YouTube
関東大震災朝鮮人虐殺事件(荒川旧四つ木橋)西崎雅夫氏 解説3 - YouTube
解説の西崎雅夫氏は右から二人目。「証言集関東大震災の直後朝鮮人と日本人」
「関東大震災朝鮮人虐殺の記録 東京地区別1100の証言 」の著者
午後からは、入谷の西徳寺で行われた「帰命法会」に参列した。
創作帰命獅子舞や、西宮から参加の武地さんの恵比寿さん、そして東京鹿踊りと、
まさに、踊り供養の神髄が奉納された感あり。百年芸能祭もいよいよ佳境に入りつつあります。これから9月2日に向けて、様々な企画が動いていますので、乞うご期待。